日本の領土問題で隣国と言われている三ヵ国が島々で尖閣諸島、竹島、北方領土と言われていますね。現在進行形で交渉している北方領土問題を採り上げて見たい‼当時のソ連とその後のロシアに受け継がれたKGB出身の現在の長期政権を狙って反対勢力を排除しまくっているウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領がこの長期政権を維持しているが、歴史的な経緯を見ると実に難しい問題です。交渉している条件や歴史的な変遷を我々はあまり知らない事も多いに問題です。
よみがえる日英同盟
日露戦争の勝利に大きく貢献 フランスの参戦防ぎ、ロシア・バルチック艦隊を邪魔した英国
https://www.zakzak.co.jp/article/20211202-R4YLKJS5GRKYPD73RIII2SB4C4/
日本海海戦。日本海軍の連合艦隊は、ロシアのバルチック艦隊に壊滅的打撃を与えて勝利した=1905年5月
日英同盟の締結(1902=明治35=年)は、日本にとって極めて重要な出来事だった。とりわけ、日露戦争(04~05=同37~38=年)の勝利は、日英同盟に因るところが大きかった。もし日英同盟がなければ、日本がロシアに勝利することは難しかった。
日本の海軍力に期待を寄せていた英国は、日本の海軍力増強にあらゆる手を尽くして協力した。その結果、日露戦争戦前の日本海軍は約150隻もの艦艇を保有する大海軍に成長していたのである。
前回紹介したように日本海軍の主要艦艇のほとんどが英国製だった。ここで、英国出身の作家のC・W・ニコルさんから聞いた面白いエピソードを紹介しよう。
実は日露戦争前の英国は、日本向けに軍艦を建造するとき、できるだけ木材を使わなかった。一方、ロシアから受注した軍艦には高級感を出すために木材を多用した。当然、木材を多用した艦艇は被弾すれば燃えやすい。つまり英国は、あえてロシア向けには木材を使ったというのだ。
当時の日本海軍が使用した砲弾には、爆発力が高く燃えやすい下瀬火薬が使われていた。ロシア・バルチック艦隊の撃滅には、そんな日英の連携プレーもあったという。
日英同盟は締結当時、どちらかの国が敵対する1カ国と戦争状態に入った場合、もう一方の締結国は中立を保ち、他の国の参戦を防ぐ努力の義務があった。どちらかの国が2カ国以上と交戦となった場合、締結国は同盟国を助けて参戦することになっていた。
要するに、日本がロシアと2国間で戦争する場合、英国は中立を保ち、フランスやドイツが参戦することを防ぐ努力をしなければならなかった。フランスかドイツがロシアに肩入れして参戦してきた場合、英国は日本を助けて参戦する約束になっていたのだ。
また英国は、日露戦争で「戦闘」以外のあらゆる手段を使って日本を助けてくれた。例えば、英国は巧みな工作によって、ロシアが戦艦2隻と装甲巡洋艦2隻を購入するのを阻止している。さらに、極東のウラジオストクに向かったロシア・バルチック艦隊に対し、英国が支配していたスエズ運河の通過を認めず、植民地への寄港も拒否し、石炭の補給も断った。
日英同盟は、強大な海軍力を持つフランスの参戦も防いだ。
当時、ロシアとフランスの間には露仏同盟があったが、日英同盟があったため、フランスはロシアを助太刀できなかった。そして、英国は日露戦争開戦2カ月後、フランスと英仏協商を結んで、フランスを封じ込めた。
英国の嫌がらせにより、バルチック艦隊の航海は3カ月の予定が7カ月となり、ロシア海軍将兵の精神・肉体両面の疲労は頂点に達していった。その疲労困憊(こんぱい)したロシア艦隊を、士気高く戦意満々の日本の連合艦隊が対馬沖で迎え撃ったのである。
まさしく日本海海戦の大勝利は、日英同盟の見事な連携プレーによる成果だったといえよう。
■井上和彦(いのうえ・かずひこ) ジャーナリスト。1963年、滋賀県生まれ。法政大学卒。軍事・安全保障・外交問題などをテーマに執筆活動を行うほかテレビ番組のコメンテーターも務める。産経新聞「正論」執筆メンバー。フジサンケイグループ第17回「正論新風賞」受賞。著書に、『日本が戦ってくれて感謝しています』(産経新聞出版)、『日本が感謝された日英同盟』(同)=写真、『親日を巡る旅』(小学館)、『自衛隊さん ありがとう』(双葉社)など多数。
中國発症の「ウィズコロナ:アフターコロナ」という言葉が今後の社会生活では従来とは違った生活様式に為っていくのでは?と思うと「父つぁん」が経験した社会じゃ無いのでどの様な過ごし方をするのか見当も尽きません!
日本の主張は戦後の外務省の責任も大きい。何故他国の様に事実を外務省として発言や最近のネットを利用した情報公開を遣らなかったのか。
日本の利益を確保する事より相手国を怒らせない事に邁進して居た様では「外務省は不磨殿」と言った大臣が居ましたがその通り。165年前の当時のロシアと結んだ下田条約から実に色んな変遷をたどって所在が変わった事から解きほぐして行かなければ為らない。
一朝一夕(いっちょういっせき)には事が運びません。この記事もその様な歴史を捉えて相手であるロシアからソ連、そして今のロシアへと変わった。本当にその様な国が日本に譲歩するには戦後のサンフランシスコ条約の中で本当に当時のあやふやな理解をとぎほぐせる事は出来るのでしょうか?
千島列島に対艦ミサイル配備 射程500キロ―ロシア
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021120200900&g=int
ロシアの地対艦ミサイル「バスチオン」=5月17日、アレクサンドラ島(AFP時事)
【モスクワ時事】ロシア海軍太平洋艦隊は2日、千島列島中部のマトゥア島(松輪島)に地対艦ミサイル「バスチオン」を実戦配備したと発表した。インタファクス通信が伝えた。
【図解】千島列島~日本の北方における領土の変遷(2016年12月)
太平洋艦隊は「周辺水域と海峡を掌握するために24時間態勢で任務に当たる」と説明した。バスチオンはロシアが実効支配する北方領土の択捉島に2016年に配備済みで、インタファクスは今回、その射程を最大500キロと報じた。
「ウィズコロナ:アフターコロナ」という言葉が今後の社会生活では従来とは違った生活様式に為っていくのでは?と思うと「父つぁん」が経験した社会じゃ無いのでどの様な過ごし方をするのか見当も尽きません!ロシア人の気質は「父つぁん」が度々取り上げている孔子の直系子孫である孔健氏が日本で出版した講談社の「日本人は永遠に中國人を理解できない」でも説明して居ましたが、その中で「約束は破る為にある」という説明があった事を面白く読んだ記憶が有ります。逆に約束した事を反故にする事と逆に約束した事を強く認識している裏っ返しだと思いますがどの様に理解しますか?
【図解・行政】日本の北方における領土の変遷(2016年12月)図解
https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_pol_seisaku-gaikou20161212j-11-w570
旧ソ連、中立条約破り占領=江戸時代から日本統治・北方領土-日ロ首脳会談
※記事などの内容は2016年12月12日掲載時のものです
日ロ間の長年の懸案で、15日の首脳会談でも焦点となる北方領土は、旧ソ連が日ソ中立条約を破棄して終戦直後に占領し、後継国家のロシアが不法占拠を続けている。日本政府は江戸時代から統治し「一度も他国領になったことのない固有の領土」として返還を求めているが、ロシアは「第2次世界大戦の結果、自国領になった」と主張しており、双方の立場には大きな隔たりがある。
北方領土の日本統治は17世紀ごろ始まった。蝦夷地(北海道)を支配した松前藩が調査隊を派遣し、1644年には「クナシリ」「エトホロ」などの島名を記載した地図を幕府に提出。18世紀にロシアが南下を始めると、幕府は最上徳内らに調査させた上で択捉島などに番所を設置している。
1855年の日露和親条約では、択捉島とその北のウルップ島の間が国境として初めて明記され、4島を日本領と確定。明治維新後の75年、樺太千島交換条約でウルップ島から北の千島列島全島を、1905年のポーツマス条約で南樺太を獲得、4島は一貫して日本の版図だった。
状況が一変したのは45年8月。終戦直前の同9日に中立条約を破って日本に参戦したソ連軍は、日本がポツダム宣言を受諾した後の同18日から千島列島への侵攻を開始。9月5日までに4島は全て占領された。
ソ連が戦後も実効支配を続けてきた背景には、「千島列島はソ連に引き渡される」と明記した米英ソによる45年2月のヤルタ協定がある。戦後、日本側が領土問題を取り上げると、ソ連は同協定を盾に反論してきた。
日本が主権を回復した51年9月のサンフランシスコ講和条約署名の際、日本政府は「千島列島の権利、権原および請求権を放棄する」と宣言した。条約署名の前後、外務省の条約局長らが国会で「南千島は千島に含まれる」などと、北方四島を放棄したとも受け取れる答弁をしたこともある。
だが、日本政府は条約発効後の56年に「日本固有の領土である4島は千島列島には含まれない」と主張。同年の日ソ共同宣言には、平和条約締結後の歯舞群島と色丹島の引き渡しが明記されたものの、冷戦期の東西対立を背景に米国が反対し、実現に至らなかった。
この様な中國と同じ共産主義を経験したロシアにも言えると思う。「日ソ中立条約」も欺くための条約に思えます。皆さんは、「北方領土」と聞いて、すべての島の名前を思い浮かべることが出来ますか。
北海道の東の端、根室沖にある択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)諸島のことですよね。
日本はロシアに対し、これらの島の領有権を半世紀に渡って主張してきましたが、未だ解決には至って居ません。中國もロシアも話し合いでは最早解決できないでしょう?両国も日ロ、日中の戦争で盗られたと思っているので両国とも武力でなければ返す積りはない。
北方領土問題でもプーチン大統領は「のらりくらり」と引き延ばしていますが、閣僚の言葉は「北方4島とアリューシャン列島?」をロシアのものと認める様に釘を刺していますが、その時その時の状況に合わせて中國同様に変えて来るのでしょう。それから交渉しようと言うのはどの様な展開を考えているのでしょうか?交渉相手のロシアは未だに平和条約を結べていないとロシアが注意喚起しています。
今の中國同様、日本に対しては両国は武力開発で違う形で覇権奪取を狙っている国なのでどうしても日本の敗戦後の状態からサンフランシスコ条約にサインをしていないのにカイロ密約を盾に自国の領土であることから始めたい。この様にロシアは、経済よりも軍事拡大に邁進と経済成長よりも先進軍備増強に邁進している国です。最近の発表では巡航ミサイルでマッハ8の開発及び実験に成功したという記事も見ました。この様に新兵器開発でまず他国を圧倒している事が背景にある。話し合いより日本に負けた敗戦を根に持って両国とも強いものが支配して当然と考えているのでしょう。
「俺っち」としてはこの問題を聞いて、中國が「武漢ウイルス」を沈静化したと言っていますが、中國同様ロシアも世界から威圧的な軍備疑念を持たれる発表を次々に発表、鵜呑みにしていない事をどの様に理解しているのか?
0 件のコメント:
コメントを投稿