日本が大東亜戦争開戦が12月8日でしたね!少し日にちがズレましたが “「第二次世界大戦?とも言いますが」” 米国では リメンバーパールハーバーと言われた真珠湾攻撃の戦史の記事を読んで日本の如何に戦争の遣り方が判るので是非ご覧下さい。戦端を、時のフランクリン・ルーズベルト大統領の日本に対しての止むに止まれぬ窮地に追い込んだことは色んな史実によって言われていますので此処では採り上げていません。
日本の歴史に於いては初めての敗戦に為る攻撃で戦争に対を為すのは国際紛争の平和的解決である。広義には内戦や反乱も含みますが、戦争においては無制限の暴力が交戦国によって行使されるが、しかし現代の戦時国際法においては「軍事的必要性」と「人道性」の原則がある。
軍事的必要性はさまざまな軍事作戦の遂行に不可欠な行動などを正当化するのが原則であり、一方で人道性とは最小限の人命損失、不要な破壊、文民に対する攻撃、過剰な苦痛などの軍事作戦にとって不適切な行動を禁止する原則であるが既に世界で日本も批准した戦時国際法に関するハーグ条約の一つであり、1907年の第2回万国平和会議やジュネーヴ条約等で改定・拡張され、今日に至るハーグ陸戦協定、ハーグ陸戦法規などとも言われる。この作戦では民間人には手を出さず、軍事施設や戦艦を目標にしているのは見事な作戦です。
真珠湾攻撃~ワレ奇襲ニ成功セリ~
https://www.jiji.com/jc/v4?id=20141206pearl_harbor_attack0001
ニイタカヤマノボレ1208
荒れた北太平洋上をハワイに向かって航行する機動部隊。空母「赤城」から撮影した映画フィルムを複写したものなので粗い画像だが、空母の甲板上に露天繋止(けいし)された搭載機の陰が見える(米海軍史料センター提供)【時事通信社】
日本時間の1941年12月2日、日本海軍連合艦隊司令長官の山本五十六は、北太平洋上を航行中の機動部隊に対し「新高山登レ1208(ニイタカヤマノボレヒトフタマルハチ)」という暗号電を送信した。この暗号は同12月8日に米国ハワイの米軍艦艇、施設、基地を攻撃せよとの命令で、航空母艦(空母)6隻を含む機動部隊はただちに攻撃準備を開始した。
もちろん、開戦は唐突に決まったわけではなく、この段階で日米関係は抜き差しならぬ状況に陥っていた。39年7月、米国は中国での日本の軍事行動が長引いていることを理由に対日経済制裁を発動、鉄鋼や石油など多くの物資を米国からの輸入に依存していた日本経済は大打撃を受けた。40年になると米国は航空機用ガソリン、くず鉄の禁輸も決め、41年11月26日には中国からの完全撤退などを求めた事実上の最後通告「ハル・ノート」を突き付けた。
日本海軍機動部隊は、ハル・ノート提示と同じ日に択捉島の単冠(ひとかっぷ)湾を出発。密かにハワイ北方海域へ向かっていた。
空母機動部隊を編成し、米太平洋艦隊の本拠地を航空戦力でたたくというハワイ攻撃作戦は、山本五十六連合艦隊司令長官の発案だったとされる。
真珠湾に向け空母翔鶴から飛び立つ97式艦上攻撃機。重量およそ800キロの91式改2型航空魚雷を搭載しているため、なかなか飛び上がれず、飛行甲板の末端から落下気味に飛び出してから、エンジンをフル回転させて上昇する。画面右上には先行して飛び立った97艦攻の機影が見える(米海軍史料センター提供)【時事通信社】
当時、各国海軍は艦隊同士の砲撃戦で勝敗を決する戦いを「常道」と考え、航空部隊は補助的戦力としか位置付けていなかった。強力な航空打撃力を備えた空母機動部隊を編成するという発想を持っていたのも日本と米国だけだったが、米国にも日本がいきなりハワイを襲う可能性を考える者はほとんどいなかった。しかも、太平洋艦隊の根拠地であるオアフ島の真珠湾は水深が12~14メートルしかない。投下後いったん数十メートルの海面下に沈んでから徐々に浮上し、目標に向かう航空魚雷での攻撃は困難と思われていた。
日本海軍は魚雷の沈下を抑える安定装置を開発、これを装着した魚雷を水面からの高度5メートルで投下すれば、真珠湾の水深でも魚雷攻撃が可能であるとの結論に至った。海軍の艦上攻撃機部隊は、超低空を飛行する猛訓練を重ねて搭乗員の技量を高め、世界で初めて浅深度での航空魚雷攻撃を可能にした。
第1次攻撃隊発進
ハワイ・真珠湾の真ん中にあるフォード島を真上から見たところ。1941年11月10日に米軍が撮影したもので、写真上側(南東方向)の「戦艦通り」と呼ばれた停泊地に5隻の大型戦艦が確認できる。島の反対側に停泊しているのは空母「レキシントン」(米海軍史料センター提供)【時事通信社】
真珠湾攻撃に向かった機動部隊は、南雲忠一中将を指揮官に、大型空母「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「瑞鶴」「翔鶴」、戦艦「比叡」「霧島」、巡洋艦「利根」「筑摩」「阿武隈」などを主力とし、空母に搭載された攻撃航空部隊も戦闘機120機、攻撃機144機、爆撃機135機の合計399機という一大戦力だった。
攻撃前日の日本時間12月7日、東京からもたらされた情報によると、オアフ島・真珠湾には米太平洋艦隊の戦艦9隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦19隻が停泊中で、空母2隻は訓練に出ているらしく港内に姿はなかった。この時点で米国は日本の外交電文を解読し、開戦の兆候を感じてはいたものの、ハワイよりフィリピンなど南方方面への攻撃が先だと考えていた。
ハワイに駐留する米陸軍の司令官ウォルター・ショート中将は、日本が航空攻撃を仕掛けてくる可能性を考え、早朝の3時間、レーダー監視を強化する命令を出していた。ただ、その命令もあくまで訓練としての位置付けで、その日もハワイ現地部隊は特に警戒することなく、のんびりとした日曜日(現地時間では12月7日)の朝を迎えようとしていた。
日本時間12月8日午前1時、ハワイ諸島北方約400キロの海域に到達した機動部隊は巡洋艦「利根」「筑摩」から水上機を射出し、オアフ島上空の偵察に向かわせた。
真珠湾攻撃へ向かうため、空母の飛行甲板上で発艦準備をする零式艦上戦闘機。後方の海面にはかなり高い波が見え、艦の動揺も激しいことが分かる(米海軍史料センター提供)【時事通信社】
東の空が白み始めた同1時20分に艦隊は風上に転針、同1時30分に空母6隻から第1次攻撃隊183機が発進した。海はかなり荒れており、空母のデッキは最大15度も傾いたが、攻撃隊はわずか15分で全機が離艦を完了した。同3時、偵察機から「真珠湾在泊艦は戦艦10、甲巡(重巡洋艦)1、乙巡(軽巡洋艦)10」という報告がもたらされた。
第1次攻撃隊は、目標の上空を水平飛行しながら爆弾を落とす水平爆撃隊(97式艦上攻撃機)49機、魚雷で艦艇を攻撃する雷撃隊(同)40機、目標に急降下してピンポイント爆撃を行う急降下爆撃隊(99式艦上爆撃機)51機、敵の迎撃戦闘機から味方の攻撃隊を守る制空隊(零式艦上戦闘機)43機で構成されていた。発進後、一気に南下した攻撃隊は、オアフ島最北端のカフク岬を確認すると、部隊ごとに展開し、あらかじめ定められた攻撃目標へ向かった。
これは演習ではない
日本海軍航空部隊の攻撃経路【時事通信社】
日本時間12月8日午前3時10分、オアフ島カフク岬に達した第1次攻撃隊の総指揮官・淵田美津雄中佐は、米軍の迎撃がないことを確信。搭乗機から信号拳銃を発射し、各隊に「奇襲」(敵の反撃がない状況で攻撃を仕掛けること)の要領で展開するよう指示した。
同3時19分、淵田中佐は無電で「全軍突撃せよ」を意味するモールス信号のト連送を攻撃隊の各機に発信、続いて同3時22分、機動部隊に向け「奇襲成功」の略語であるトラ連送を送信した。この電文が、後に「われ奇襲に成功せり。トラ、トラ、トラ」として世に知られるようになった。
第1次攻撃隊のうち、まず急降下爆撃隊は二手に分かれ、本隊はオアフ島の中央部を突っ切って島の南部にある真珠湾内のフォード島海軍飛行場とその南東のヒッカム陸軍飛行場へ、別動隊は北部にあるホイラー陸軍飛行場の爆撃に向かった。雷撃隊と水平爆撃隊は米軍の艦艇群を求め真珠湾に向けて飛行したが、その途中、米軍戦闘機が迎撃してくる気配はまったくなかった。
ハワイの米軍が最初に異変を感じたのは、日本時間12月7日午後11時12分(現地時間で12月7日未明)に、掃海艇が真珠湾の湾口で小型潜水艇の潜望鏡を発見した時だった。これは、空母機動部隊とは別にハワイへ送り込まれた日本の特殊潜航艇5隻のうちの1隻で、さらに同8日午前2時15分、駆逐艦が小型潜水艇1隻を撃沈したと報告している。ただ、この情報が米太平洋艦隊のキンメル司令長官に伝わったのは同8日午前3時10分ごろだった。
ハワイ上空を飛行する99式艦上爆撃機。この写真を撮影したのは、本土から飛来した米陸軍のB-17爆撃機で、手前に主翼とエンジンが写っている。このB-17はまったくの非武装だったため、日本軍機を発見してもカメラのシャッターを切ることしかできなかった(米海軍史料センター提供)【時事通信社】
オアフ島にはレーダー警戒網が設置され、同8日午前2時32分ごろ、レーダー操作員は北方に多数の機影を認めた。しかし、当直将校が訓練中の味方機か本土から飛来予定だったB-17爆撃機だと勝手に判断し、司令部への報告を怠った。
同8日午前3時25分、日本軍急降下爆撃隊の最初の攻撃がヒッカム陸軍飛行場に対して行われた。その3分後、海軍哨戒航空部隊指揮官のべリンジャー少将は、全艦艇に対し「真珠湾が空襲を受けている。これは演習ではない」と伝達したが、もはや手遅れだった。
次々上がる水柱
ハワイ上空で急降下する99式艦上爆撃機。主翼下のダイブブレーキ(急降下制動板)をいっぱいに開いているが、胴体下に搭載しているはずの爆弾が見えないので、投弾直後に撮影されたと思われる(米海軍史料センター提供)【時事通信社】
日本軍第1次攻撃隊で、戦いの火ぶたを切ったのはヒッカム陸軍飛行場を襲った急降下爆撃隊の99式艦上爆撃機だった。
ハワイ攻撃の目的は米太平洋艦隊の撃滅だが、同時に敵飛行場を破壊して味方空母機動部隊に対する反撃の芽をつまなければならない。日本軍機がヒッカム飛行場を執ように攻撃したのは、空母の脅威となる大型爆撃機がそこに配備されていたからだ。
日本時間8日午前3時25分から開始された急降下爆撃は、18発の爆弾を投下、主に格納庫を破壊して同飛行場に壊滅的な打撃を与えた。また、真珠湾内にあるフォード島海軍飛行場にも急降下爆撃隊が現れ、爆撃と銃撃を加えて施設、兵舎、駐機していた航空機を破壊、同飛行場は数十分で無力化された。
急降下爆撃隊がヒッカム飛行場への攻撃を始めてから2分後の日本時間12月8日午前3時27分、97式艦上攻撃機で編成された雷撃隊が、真珠湾に停泊する米艦艇への攻撃を開始した。米軍の記録によると、日本の雷撃隊は南東方向から真珠湾上空に高度50~100フィート(15~30メートル)という超低高度で侵入すると、目標に極めて近い位置から魚雷を投下した。
フォード島停泊地の戦艦群への攻撃が始まった瞬間の写真。水柱が上がっているのは戦艦アリゾナの舷側と思われるが、米軍の記録では戦艦ウエストバージニアとなっている。戦艦群の右側には、攻撃後に急上昇する機影が見える(米海軍史料センター提供)【時事通信社】
重さ800キロもの航空魚雷を抱いた攻撃機の操縦桿(かん)は重く、超低空ではひとつ間違えば海面に激突してしまう。魚雷を目標近くで投下したのは、真珠湾の水路が狭いからだが、投下した瞬間には目標艦の舷側がすぐ目の前まで迫っている。重い機体を超低空で安定させた上で、魚雷投下直後に急激な引き起こしで目標艦を飛び越えるには、搭乗員に高い技量が求められる。
米軍が真珠湾で魚雷防御策を何も講じていなかったのは条件が悪すぎて攻撃不可能と判断していたためだが、日本海軍は猛訓練で不可能を可能に変えた。実際、雷撃隊のうち誤って目標に突入するような攻撃機は1機もなく、米艦艇群の舷側には次々と大きな水柱が上がった。
迎撃する敵機なし
炎上する米太平洋艦隊の戦艦群。手前はウェストバージニア。同艦は沈没・着底したが、その後浮揚・修理されて戦列に復帰。この攻撃で撃破された戦艦のうち、ウェストバージニアを含む6隻は修理後いずれも戦列に復帰している【AFP=時事】
第1次攻撃隊で行動が最後になったのは、総指揮官・淵田中佐が率いる水平爆撃隊だった。水平爆撃隊49機はオアフ島の西側をぐるりと大回りし、ほぼ真南から真珠湾上空3000メートルに侵入。日本時間12月8日午前3時35分から停泊中の艦船目掛けて800キロ爆弾を次々に投下した。
水平爆撃はいったん決めた爆撃コースをそれると照準が外れてしまうので、爆撃態勢に入ってから敵戦闘機の迎撃を受けると命中精度が著しく低下する。しかし、真珠湾上空に迎撃する米戦闘機の姿はなく、雲のため目標を見失った攻撃機が3度も照準をやり直す余裕まであった。
第1次攻撃隊の迎撃に上がった米戦闘機は4機に過ぎず、いずれも同8日午前3時30分までに日本軍制空隊によって撃墜されていた。地上や艦艇からの対空砲火も散発的で、オアフ島上空の制空権は完全に日本軍が握っていた。
第1次攻撃隊がそれぞれの母艦から飛び立って約1時間後の日本時間12月8日午前2時45分、第2次攻撃隊がオアフ島に向け発進した。指揮官は空母「瑞鶴」飛行隊長の島崎重和少佐で、水平爆撃隊(97式艦上攻撃機)54機、急降下爆撃隊(99式艦上爆撃機)78機、制空隊(零式艦上戦闘機)35機の合計167機で構成されていた。
米戦艦群が黒煙を上げるハワイ真珠湾の上空を飛行する第2次攻撃隊の97式艦上攻撃機。垂直尾翼に記されたEII-307の記号から、空母翔鶴から発進した水平爆撃隊の誘導隊指揮官機であることが分かる【時事通信社】
カフク岬を確認した第2次攻撃隊はオアフ島の東側を通り、水平爆撃隊の一部がカネオヘ海軍飛行場の攻撃に向かったほか、残り全機が真珠湾とヒッカム飛行場を目指した。真珠湾上空で攻撃を開始したのは同午前4時32分からだったが、1次攻撃による火炎や煙で目標が見えづらく、急降下爆撃隊の中には、対空砲火の弾道をたどって、まだ戦闘能力を維持している目標を探すといった無理のある攻撃をしかけたケースもあった。
米軍側も1次攻撃のショックから態勢を立て直しつつあり、第2次攻撃隊は激しい反撃を受けた。未帰還機は、第1次攻撃隊が9機だったのに対し、第2次攻撃隊は20機と倍以上の損害を受けている。
特殊潜航艇帰還せず
オアフ島の東海岸で座礁しているのが見つかった特殊潜航艇【AFP=時事】
ハワイ攻撃には、空母機動部隊のほか、大型潜水艦5隻からなる特別攻撃隊も参加していた。潜水艦はそれぞれ2人乗りの特殊潜航艇1隻を搭載。特殊潜航艇には魚雷2基が備えられ、母艦となる大型潜水艦にオアフ島近くまで運ばれてから発進し、真珠湾に忍び込んで停泊中の米艦艇に肉薄攻撃を敢行することになっていた。
計画では攻撃終了後、米軍の混乱に紛れて脱出、母艦との会合点で搭乗員だけを回収するはずだったが、5隻はいずれも帰還しなかった。ただ、少なくとも2隻が湾内への侵入に成功したことは間違いないとされる。
5隻はさしたる戦果を上げなかったとされていたが、1999年に発表された研究では、当時の写真や米艦艇が受けた被害を詳細に分析すると、戦艦2隻を撃沈した可能性があることが分かった。なお、特殊潜航艇5隻のうち1隻は損傷を受けて座礁、乗組員1人が捕虜となり、戦後に帰還を果たしている。
真珠湾攻撃で空襲部隊を率いた淵田美津雄中佐が作戦終了後、昭和天皇に戦果を説明する際に使った手描きの損害評価図。縦約80センチ、横約60センチ。攻撃を受けた米艦船名や、投下された爆弾、魚雷の数などが丁寧に記され、「軽微な損害」から「沈没」まで4段階の損害評価が艦ごとになされている。2013年12月6日、米ニューヨークの競売商クリスティーズでオークションにかけられ、42万5000ドルで落札された(クリスティーズ提供)【時事通信社】
ハワイ北方海域にとどまっていた日本海軍機動部隊は、日本時間12月8日午前9時22分までに、第1次、第2次攻撃隊の収容を完了した。作戦計画では、2回の攻撃で十分な戦果がなかった場合、帰還した航空部隊に燃料と兵器を補充し、3回目以降の攻撃もあり得るとしていた。
しかし、機動部隊指揮官の南雲中将は、最後まで真珠湾上空に留まって戦果を確認した淵田中佐の報告から、米太平洋艦隊に大打撃を与えたと判断。これ以上の攻撃は必要ないとして艦隊を帰投させることにした。
また、機動部隊の脅威となる米軍の大型爆撃機を完全に無力化したという自信がなかったほか、ハワイ近海にいるはずの米空母2隻の動向がつかめないなどの不確定要素もあった。この決断を優柔不断と批判する向きもあるが、日本にとって虎の子の空母が無事でなければ始めたばかりの戦争が続けられないことも確かだった。
「大戦果」に沸き上がる国民
日本軍の攻撃から3日後に、真珠湾の被害状況を撮影した写真。左から戦艦アリゾナ、テネシー、ウエストバージニア、メリーランド、オクラホマ。いずれも大きな被害を受けているが、水深が浅いため完全に水没することはなかった(米海軍史料センター提供)【時事通信社】
日本海軍の真珠湾攻撃による米側の主な損害は、戦艦5隻が沈没、戦艦4隻、巡洋艦、駆逐艦各3隻が損傷、飛行場への攻撃で航空機188機が破壊され、戦死・行方不明者も2300人を超えた。日本国内では12月8日早朝に米英と戦争状態に入ったことが公表され、同日夜にはハワイ攻撃により(1)米軍の戦艦2隻撃沈、さらに戦艦2隻大破、巡洋艦約4隻大破(2)ホノルル沖で潜水艦が米空母撃沈との未確認情報あり-といった戦果も発表された。
嶋田繁太郎海軍大臣は12月17日、議会で「米国太平洋艦隊主力の大部はその戦闘力を喪失した」と報告。新聞も「太平洋での米国の攻撃作戦能力は完全に喪失した」と書き立て、国民は戦勝気分に沸き立った。
しかしながら、与えた損害は米国の工業力を持ってすれば数カ月で回復できる程度でしかなく、長い目で見れば太平洋での作戦能力に大きな影響はなかった。
1997年に明らかになった米軍秘密文書によれば、41年の真珠湾攻撃に当時の米国陸海軍の幹部は大きな衝撃を受け、「現状では、日本軍によるハワイ全島占領や米西海岸攻撃も可能」と極めて悲観的な戦況分析をしていた。
航真珠湾攻撃の翌日、議会に対日宣戦布告を求める演説をするフランクリン・ルーズベルト米大統領(米海軍史料センター提供)【時事通信社】
スターク海軍作戦部長が同年12月11日付でマーシャル陸軍参謀総長(いずれも当時)に送った書簡によると、同部長は真珠湾攻撃を分析し、「米戦艦と巡洋艦の多くが無力化された今、中部太平洋に強大な海軍力を展開できる日本軍は、攻勢に集中できる」と指摘。この段階で日本軍が海戦を挑むなら、米艦隊全滅の事態も起こり得るとした。
ただ、日本軍自体にハワイ占領や米国本土を狙う発想はなく、資源の確保に向けて南方への進出に全力を挙げていた。ルーズベルト米大統領は対日宣戦布告を議会に求めた演説で、真珠湾攻撃を「屈辱にまみれた日」だとして国民を鼓舞。米軍幹部の悲観論も開戦当初だけだったとされる。
※主要参考文献:戦史叢書「ハワイ作戦」防衛庁防衛研修所戦史室(朝雲新聞社)
「俺っち」も諍(いさか)いに於いての遣り方には当然のこと、ルールが有りますが、ルール以前に訓練で此処には攻めてこないと思う処に攻撃を仕掛けた訳ですが、その訓練も過酷を極めたんだろうな~っ?「父つぁん」も言わせて欲しいと喚いていたので「俺っち」が日本が米国に嵌められた事を言ったら、そうなんだと言っていました。それにしても参加した兵士の練度は半端じゃ無いよ。
第一次世界大戦で米国が厭戦気分に為っていたんで戦争を遣らないとの公約で当選したフランクリン・ルーズベルト大統領が先に日本が手を出す様に色々画策して日本を追い込んだ事ぐらい説明を受けなくても判るよ。ベェロナファイルが大東亜戦争の引き金になる事例を長年の年月を経て解読をされた事で当時の様子がよく判った。ルーズベルト大統領の廻りには多くのスパイと共産主義者の側近が暴かれていたので納得しました。
「俺っち」もそれが気に為りますが、実は親中政党の自民党と池田大作を頂点とする公明党も中國に対しては豪く親中だから様子を見る事にしますが、自民党地方議員や党友会、自民党内では人気?が河野太郎氏に多いようですが?「俺っち」も女性議員ですが高市早苗氏が日本のサッチャー女史の様に鉄のような意思で政界を強力に引っ張って欲しいもんです。
女性の方が男性よりも却って国防意識が強く意思が変質しない。特に日本の政治家には火中の栗を拾えない人が多くて不満ですが、「武漢コロナウイルス」の変異株が世界中で次々見つかった事は、インフルエンザウイルスやサーズ・マーズと違い発症して感染では無く、感染しても本人には自覚症状も見られない潜伏期間で人へ感染している様なので要注意です。
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