昨日は何の日?
4日10日(土)~4日14日(水)
季節の歳時記で「鴻雁北(こうがんかえる)」!
昨日10日(土)からは「鴻雁北(こうがんかえる)」。ふり仮名がないとなかなか読みにくい言葉です。冬の間を日本で過ごした鴻雁(こうがん)が、日本から寒い北に帰っていく時期ということで、「北」と書いて「帰る」と読ませています。
次の記事はその雁は頭脳派で仲間思いで雁は用意周到?
渡り鳥である雁は、繁殖地であるロシアからカムチャッカ半島を経由して、日本にやってきます。その距離はなんと約4000km!
そんな長旅に備え、雁たちは木の枝をくわえて飛びます。
「木の枝が何の役に立つの?」
飛び疲れたら木を海に浮かべて、その上で休むのです。
やはり雁は賢い!といいたいところですが、「葦を啣む雁」は故事から生まれた言葉で、実際に雁が木の枝をくわえて渡ってくることはないようです?
雁の振り見て我が振り直せ…そんなメッセージがこの言葉からは感じられるような気がします。
場合によっては時に参考に為るので目を通してくださいね。
今の時期は「父つぁん」も注意して廻りを見ていると子育て中の燕を駐車場の梁に巣を作って一生懸命に餌を運んでいた情景を思い出すそうです。
たぶん、巣が今でも確保して居るのなら今頃、燕の親子ともども南の地方に飛び立つのかな?旅をする雁と燕を見ていると人間社会の我々も見習いたいほどだね。
2016年04月09日
七十二候「鴻雁北(こうがんかえる)」 。あはれな渡り鳥にまつわる伝説「雁風呂」のCMをご存じですか?
https://tenki.jp/suppl/usagida/2016/04/09/11441.html
うさぎだ りすえ サイエンス
宮城県上空をV字飛行中。先頭入れ替わります!
日本に帰ってくるツバメと交替するように、花曇りの空を旅立つ鳥たちがいます。4月10日〜14日頃は『鴻雁北(こうがんかえる)』。雁(ガン、かり)が北の国へ帰っていく時季です。現在ほとんど宮城県の一部にしか渡ってこないといわれる雁ですが、人間の目には昔から思慮深く情の深い鳥と映ってきたようです。「あはれな」雁にまつわる70年代のテレビコマーシャルをご記憶の方も、いらっしゃるかもしれません。
ポイント解説へ
なぜわざわざ北へ? 日本にいればいいのに・・・
CMでも話題になった『雁風呂』伝説とは?
愛する家族を置き去りになんてできない!
なぜわざわざ北へ? 日本にいればいいのに・・・
「落ち穂拾い」するオオハクチョウ
ツバメのように、春に日本に帰ってきて子育てし、秋になると南へ旅立つ「夏鳥」。雁やオオハクチョウのように、寒さが厳しくなる頃日本にやってきて冬を越し、春には子育てのためまた北の国に戻る「冬鳥」。そしてシギやチドリの仲間のように、日本より北の地域で子育てし、日本より南の地域で冬を越す(渡りの途中で日本に立ち寄って休む)「旅鳥」。渡り鳥は、こんなふうに3種類に分けられます。
なにかと謎の多い渡り鳥も、渡る主目的はやっぱり子育て!
食べ物が入手しやすくヒナを育てやすい場所へと、体内時計を駆使して太陽や星座をたよりにそれぞれ決まったコースで移動します。旅鳥には、行きと帰りで違うコースをとるために日本で見られる数が秋と春で大きく違う種類もあるそうです。
『鴻雁来(こうがんきたる) 』の秋に日本に来る雁は、カモより大きくハクチョウより小さい水鳥です。これからいよいよシベリア方面へ向けて出発します!
ふだんの食事は米・草の葉や茎・地下茎・種子・果実・・・とベジタリアン系ですが、多くの鳥と同様に、ヒナは昆虫で育てます。それなら危険を冒してわざわざ北に行かなくても、そのまま日本にいれば夏の虫も捕れるでしょうに?と思いますが、冬鳥たちはきっと日本より涼しい環境が好みなのですね。それに寒い地域では夏の短期間で一斉に虫が発生するので、効率よく食べ物をゲットできるという魅力もあるようですよ。
CMでも話題になった『雁風呂』伝説とは?
伊豆沼の夜明け
羽を休める沼と、落ち穂や雑草が食べられる田んぼ。
その両方がある場所は、いまの日本にはもうあまり残っていません。日本に来る雁の仲間は6種類くらいで、その中で最も多いマガン約7〜9万羽のほとんどすべてが、伊豆沼や蕪栗沼など宮城県北部で冬を越すといいます(それで雁は宮城の県鳥になっています)。
命がけの旅の末やっと落ち着いても、野性の暮らしにはケガや伝染病、天敵など危険がいっぱい。昔、こんなテレビコマーシャルがあったのをご存じでしょうか。
「月の夜、雁は木の枝を口にくわえて北国から渡ってくる/飛び疲れると波間に枝を浮かべ
、その上に止まって羽を休めるという/そうやって津軽の浜までたどりつくと、いらなくなった枝を浜辺に落として、さらに南の空へと飛んでいく/日本で冬を過ごした雁は 、早春の頃再び津軽へ戻ってきて、自分の枝を拾って北国へ去ってゆく/あとには、生きて帰れなかった雁の数だけ枝が残る/浜の人たちは、その枝を集めて風呂を焚き
不運な雁たちの供養をしたのだという」
(1974年CM『サントリー角瓶』より)
これは青森県津軽地方に伝わる『雁風呂』の言い伝えです。
旅立ちの季節が終わり もう雁が来なくなっても海岸にまだ残っている木片があると、それは日本で死んだ雁のものであるとして、供養のために、旅人などに流木で焚いた風呂をふるまう風習があったのだそうです。実際には、雁は渡るときに枝をくわえないし枝に乗らなくても自分で浮いていられますが、移り変わる季節に雁の苦難と命を思う優しい気持ちが感じられる伝説ですね。
「雁風呂」「雁供養」は、春の季語でもあります。
愛する家族を置き去りになんてできない!
家族一雁となってがんばります♪
雁は家族のつながりが深く、 夫婦の片方が死ぬと、がっくりうなだれてしばらくそばを離れないこともあるといいます。
マガンは大人になるのに2〜3年かかるため、その間はずっと親が付き添い、お世話しながら渡りのコースや飛び方、どんな危険があるかということを教えるのだそうです。飛ぶときも、田んぼで食事をしているときも、いつも家族いっしょ。子どもが食事をしていると、親は交代でじっと周囲を警戒しています。子どもはずっと親の温もりに守られて生活しているのですね。
「雁首を揃える」などと使われるように、雁はいつも群れで行動します。
渡りの春、翼を骨折したり体調が悪くて出発できない雁がいると、元気になるまで
なんと仲間の雁たちも一緒に居残るといいます。自分たちにはこれといった武器がなく、そんなに早く飛べない弱い鳥であることを知っていて、傷ついた1羽だけを置き去りするなんてとてもできない、と思っているかのようです。
『雁風呂』伝説で語られる雁の行為は、中国の淮南子(えなんじ)という本に書かれた話「葦を啣む雁(あしをふくむかり)」から生まれた故事といわれ、「手抜かりなく準備がととのっていること、用意周到」を表すのだそうです。
人間のように深い感情をもつ雁なら、あるいはこんな備えもしてしまうかも・・・と思わず信じそうなほど、人は雁の姿に親しみを感じてきたのかもしれません。家族や仲間で助け合うことによって守られ絆や愛情が育まれるなんて、まるで人間のめざす社会のようではありませんか。
<参考サイト>
宮城県蕪栗沼ホームページ(蕪栗ぬまっこくらぶ)
小動物系ライター
うさぎだ りすえ
東京在住。夫と息子が1人ずつ。好きな天気は、小春日和。冬眠と溜め込みのリス生活から脱し、現在いろいろ捨てまくっている。2021年は、手で文字を書く小動物系ライターをめざしたい。身軽でたのしい人生を模索中。
この時期は暦の「玄鳥去=つばめさる」から当然雁といえば、Vの字になって飛行する姿が特徴的ですよね。前を飛ぶ仲間の気流に乗ることが出来るV字編隊は、みんなが少ない力で飛ぶことが可能です。
さらに、先頭と一番後ろに力のある雁を配置し、メスや子どもの雁を間に挟んで守っているそうです。
物語や、実際の行動を見てもわかるように「自分だけが良ければそれでいい」なんて考えは、雁の中にはないのですね。
私たちが雁から学ぶべきことは、意外にたくさんあるようです。
たかが鳥と侮ることなかれ!
この記事はその様な時に参考に為るので目を通して如何でしたか。
雁は家族のつながりが深く、 夫婦の片方が死ぬと、がっくりうなだれてしばらくそばを離れないこともあるといいます。
昔の人たちが、自然のあらゆることから、季節の移り変わりを教えてもらっていたことには感心させられますが、暦もないのに規則正しく生活場所を変える渡り鳥は、もっと不思議な存在です。
「俺っち」は「父つぁん」が説明をして呉れたけれど、彼らは正確な体内時計を用いて、太陽や星座を頼りに旅をするそうですが、本日の鴻雁北(こうがんかえる)は昔も生活の節目で季節を感じたものなんでしょうね。
今年は「武漢ウイルス」が世界的に蔓延して季節感を損ない、本年は日本でも季節の風物詩をこの話題で掻き消されてしまいましたね。
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