今回も説明をしますが、香港が現在のように中華人民共和国への返還されたとなる以前は英国が香港地域を統治していました。23年前の西暦1997年、英国から中華人民共和国に香港が移譲されたことで香港社会に中國の影響が及ぶようになっていったわけです。この出来事を返還と表現することが多いのでこの記事のその表現を用いましたが、英国は中華人民共和国から香港を借りたわけではありません。
日本では天保13年(1842年)の南京条約(第1次アヘン戦争の講和条約)によって、香港島が清朝から英国に割譲され、英国の永久領土となった。さらに、安政7年/万延元年(1860年)の北京条約(第2次アヘン戦争(アロー号戦争)の講和条約)によって、九龍半島の南端が割譲された。
その後、英国領となった2地域の緩衝地帯として新界が注目され、1898年の展拓香港界址専条によって、99年間の租借が決まった。以後、3地域は英国の統治下に置かれることとなった。
昭和16年(1941年)に太平洋戦争が勃発し、英国植民地軍を放逐した日本軍が香港を占領したが、昭和20年(1945年)の日本の降伏により英国の植民地に復帰した。その後昭和25年(1950年)に英国は前年建国された中華人民共和国を承認した。この後英国は中華民国ではなく中華人民共和国を返還、再譲渡先として扱うようになる。当初英国側は租借期間が終了する新界のみの返還を検討していたものの、英国の永久領土である香港島や九龍半島の返還も求める猛烈な鄧小平に押されてサッチャーは折れた恰好となった。
昭和59年(1984年)12月19日に、両国が署名した英中共同声明が発表され、英国は平成9年(1997年)7月1日に香港の主権を中華人民共和国に返還し、香港は中華人民共和国の特別行政区となることが明らかにされた。共産党政府は鄧小平が提示した一国二制度(一国両制)をもとに、社会主義政策を将来50年(2047年まで)にわたって香港で実施しないことを約束した。
この様に鄧小平にサッチャー元首相も折れた。
1997年の返還条件の中に盛り込まれていた条件について現在の中國が、返還されればこっちの勝手が通ることを現在の香港島に次々に中国共産党に利する立法化を起(おこ)している。
「愛国者」による統治……香港を「理想のかたちに」作り変えようとする中國
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-56369377
ジョン・サドワース、BBCニュース(中国・北京)
24年近くの間、香港は知らず知らずのうちに政治的実験室となり、この時代の最も決定的な思想分断をめぐる実験の場となっていた。
権威主義と民主主義という全く相容れない2つの価値観を、調和とまではいかなくとも、少なくとも何らかのかたちで互いに折り合いをつけながら、1つの都市の中で共存させることは可能なのか。これが実験のテーマだった。
1997年の中国への香港返還に向けた1984年の英中共同声明は、まさにこのことを念頭に置いていた。
「一国二制度」とは、少なくとも2047年までは香港に言論の自由や独立した裁判所、活気あふれる民主主義の維持を認める一方で、主権国家が厳格な一党独裁を維持することを意味する定型句だ。
議事進行がすべてあらかじめ決められている、予定調和的な中国の全国人民代表大会(全人代=国会に相当)で11日、香港の政治制度に抜本的な変更を加えることが、いつもどおり全会一致で可決された。注視していた大勢にとって、香港での実験がはかなく消えた瞬間となった。
中国がたびたび指摘するように、香港の植民地時代の支配者たちは香港市民に民主的な発言権をなかなか与えようとしなかった。
1950年代に中国から、香港に自治を導入すれば侵略するという警告を受けていたこともあり、ためらう理由がそれなりにあったのかもしれない。
それでも、中国に返還された香港には、普通選挙に関しては民主制が不十分ではあるものの、規制に縛られない資本主義経済や自由貿易港としての地位の本質的な部分である、深く根付いた自由は残っていた。
「私たちは1度も民主主義を獲得したことはないが」と、民主党の元広報担当の劉慧卿(エミリー・ラウ)氏は切り出し、「皮肉なことに、私たちが何十年にもわたって享受してきた自由や個人の安全、法の支配のレベルは、定期的に選挙を実施している一部の国よりもはるかに高い」と私たちに語った。
こうした伝統は、中国大陸の政界の支配者による統治システムとは全く対照的だ。そして、この緊張関係が「二制度」の意味をめぐる争いの核心となっている。
転換点
中国は、中英共同声明の精神を具現化した、香港の憲法ともいえる「香港特別行政区基本法」を守ろうとしてきたと主張している。
そして、香港トップの行政長官を選出するため普通選挙を実施すると定めた第45条を、香港特別行政区基本法に加えようともしたと主張する。
この計画は、行政長官の候補者選びの仕組みをめぐり勃発した2014年の「雨傘運動」の影響で頓挫(とんざ)した。
中国が国家安全維持法(国安法、2020年6月施行)を制定しようとしたことをめぐっても、香港で抗議活動が起きた。基本法には治安維持の法律整備も定められている。
結局のところ、行き詰まりの原因は制度上の問題よりも根深い不信感だ。
ほとんどの国には国家安全保障法があるし、あらゆる民主制度はなんらかのかたちで不完全だ。しかし、台頭してきた権威主義的な超大国がこうした制度を監視しているケースはほとんどない。
そして窮地に陥った香港の民主化運動は、中国政府に反発しようとするたびに以前よりも不利な状況に陥いっている。これが、香港の民主化運動の悲劇だ。
転換点となったのは、犯罪容疑者の中国大陸への引き渡しを可能にする2019年の「逃亡犯条例」改定案をめぐる、大規模で時には暴力的な抗議活動だった。
この騒動は中国政府が国安法を成立させるのに必要な口実を与えることとなり、同法の施行で一夜にして、抗議活動に対して萎縮効果をもたらした。
同法は中国からの「分離独立」、中央政府の「転覆」、外国勢力との「結託」など、曖昧で広範な犯罪行為を定めており、中国大陸への身柄引き渡しの可能性があることが主要な特徴だ。
重大事件の場合は中国大陸へ引き渡され、香港政府が正式に撤回した「逃亡犯条例」改定案が適用された場合よりもはるかに外部からの目が行き届かない状況で裁判を受ける可能性がある。
1月6日早朝に行われた最大規模の取り締まりでは民主活動家や政治家55人が国安法違反容疑で逮捕された。このうち47人は「国家転覆罪」で起訴された。
今や香港では、抗議の横断幕を掲げたり、Tシャツを着用するだけで拘束される可能性がある。
2020年9月に予定されていた香港立法会選挙に先立ち、民主派は立法会での過半数獲得の可能性を高めるため、非公式の予備選を実施。この戦術はほぼ成功したように見えた。
2019年11月の区議会選挙では民主派が大きく議席を伸ばし、地すべり的勝利を上げた。区議会選挙は香港で唯一の民主的な選挙だ。民主派への深い支持を示したこの選挙結果に、中央政府はひどく動揺しただろう。
ところが立法会選挙に向けた非公式の予備選計画は裏目に出た。立法会選挙は、表向きは新型コロナウイルスを理由に中止された。そして今や、中国は全人代で承認された香港の選挙制度改革に着手し、民主派が過半数を獲得する可能性は完全に消え去ってしまった。
劉慧卿氏は、中国による香港の選挙制度改革は、中国政府に忠実なスタッフで構成された委員会が、全ての候補者を審査して「愛国者」であるかを確認するものだと確信している。
「(中国側)が有権者の選挙権を実質的に剥奪し、私の政党やほかの民主派の人々が独立して自由に選挙に参加できない制度を香港に強制するつもりなら、一国二制度はおしまいだ」
民主主義が屈する
香港の親中派の政治家たちでさえ、何かの根本的な変化があったと考えているようだ。
親中派「新民党」創設者で立法会議員の葉劉淑儀(レジーナ・イップ)議員は、行政長官の諮問機関、行政会議のメンバーでもある。
葉劉氏は一国二制度は終わっていないと主張する一方で、もはや民主主義を与えることを目的としているのかどうか確信が持てない様子だ。
「中国政府は欧米の思想家が提唱するような、知識が豊富で情報量の多い人たちによる統治、つまりエピストクラシーのような代替制度への移行を模索しているかもしれない」
このような制度はかなり非民主的に聞こえると、私は指摘してみた。
すると、「良い結果をもたらせないなら、民主的な制度に本質的な価値はない」と葉劉氏は答えた。
「私たちは23年間、民主主義を実現できるか試してきたが、その結果は決して満足のいくものではない。様々な点でうまくいっていない」
中国国営メディアは、一国二制度は政治的な二制度の維持ではなく、2つの異なる経済制度を維持するのに必要だと主張する。一国二制度の条件を覆そうとしているようだ。
中国への香港返還を定めた英中共同声明に署名したイギリス人は、中国が近代化し、自国の内部改革を行い、政治的に香港に近づくにつれて、引き渡し協定の核心にある根本的矛盾が解決されると、かつては期待していたのかもしれない。
もしそうだとすれば、それは希望的観測にすぎず、中国が香港返還についてイギリスと合意を結んだ頃よりもほぼ間違いなく、さらに権威主義的になっていると言える。
「中国の不可欠な一部として、中国の安全保障を損なうわけにはいかない」と葉劉氏は話す。「現行の制度が持続可能であると中国政府が思わない限り、2047年なるよりも前に香港を再統一するという選択肢が出てくるだろう」。
変わりつつあるのは香港だ。相容れない2つの価値観をめぐる長い争いの中で、最終的に屈しつつあるのは民主主義だと言える。
民主党で議長を務めた劉氏は、海外メディアでの発言にさえリスクがあると承知しているという。
「もちろんリスクはある」、「しかし率直に言うと、私は自分が国安法に違反しているとは考えていない」と劉氏は話した。
「ですが、私がそう言っているだけで(中略)もし彼ら(中国側)が私は違反しているんだと言えばそれまでだ。このインタビューの後に、誰かが私の家のドアをノックするかもしれない」
去年の令和2年(2020年)6月30日に全人代常務委員会で可決された「香港維護国家安全法」は、その日の夜11時から発効し、香港で実施されることとなった。
今年の全人代で24年近くの間、香港は知らず知らずのうちに政治的実験室となり、この時代の最も決定的な思想分断をめぐる実験の場となって同法は大きく分けると、「国家分裂罪、国家転覆罪、テロ活動罪、外国勢力と結託し国家安全を害する罪」の4つから成り立っているが、中でも注目しなければならないのは第四十四条である。第四十四条には以下のような趣旨のことが書いてある(概要)
●香港特別行政区行政長官は、全てのレベルの裁判所の裁判官の中から、若干名の裁判官を選び、国家安全に危害を及ぼす犯罪の処理に当たらせる。
●行政長官が指名した裁判官の任期は1年とする。
●裁判官の任期内に、万一にも裁判官が国家安全を侵害するような言動をしたならば、直ちに国家安全担当裁判官の資格を剥奪する(筆者注:もし任命した裁判官が不適切だった場合は他の裁判官を指名することができるようにして、北京の意向通りに判決を出す裁判を常に執行させる。だから任期も短い)。
●国家安全犯罪に関する裁判は国家安全犯罪担当裁判官が審議する(筆者注:外国籍裁判官に民主活動家の裁判を担当させない)。
この様に当時は日本も大東亜戦争(第二次世界大戦=WW2)で日本軍が英国軍を放逐し占領でその後の敗戦で香港と繋がりを持っていました。
また(平成9年)西暦1997年まで中華人民共和国という国は建国(建国は昭和24年=西暦1949年)以降一度も香港地域を統治した事実はありません。
英国が香港地域の一部を借りた相手は清国というかつて中國大陸の広範囲を支配していた君主制の、今の中華人民共和国とは全く異なる国家です。香港国家安全維持法は、国家分裂、政権転覆、テロ活動、外国勢力との結託の4種類の活動を犯罪行為と定め、最高刑として終身刑を科す。英国と中國が当時の状況の植民地時代の法根拠。
中国が反論-香港の選挙制度変更巡る英国の非難やG7外相声明で
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2021-03-15/QPYTBGDWLU6D01
Andrew
Davis
返還後の香港に関し英国に主権はない-ロンドンの中国大使館
中英共同宣言が「継続的な不履行状態」にある-ラーブ英外相
中国政府による香港民主派締め付けは中国への香港返還を定めた1984年の「中英共同宣言」違反だと非難する英政府に対し、中国側は「根拠のない中傷」だとして反論した。
ロンドンの中国大使館は14日、返還後の香港に関し「英国に主権あるいは管轄権、『監督』する権利はなく、香港住民に対するいわゆる『責務』もない」とする声明をウェブサイトに掲載した。
ラーブ英外相は先に、中英共同宣言が「継続的な不履行状態」にあると指摘し、これまでの違反という表現に加え、中国側を強く批判した。
ラーブ英外相
中国の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)は11日、香港の選挙制度見直しを承認。昨年半ばの香港国家安全維持法(国安法)導入や民主派の活動家らが多数逮捕されたことを受け、香港から去る民主派も多い。中国政府は「愛国者」による香港統治を求めている。
ラーブ外相は香港の選挙制度変更について、「中国の政治に批判的なあらゆる声を攻撃し抑圧するためのパターンの一部」であり、共同宣言違反が繰り返されていると指摘。「英国は引き続き香港の人々の味方であり続ける」とした上で、「中国は法的義務に従い行動し、香港の基本的権利と自由を尊重する必要がある」とコメントした。
これに対し中国側は、「香港は中国の特別行政区」であり、「香港選挙制度の設計と改善は完全に中国の内政問題であり、外部からの一切の干渉を容認しない」とする500語に及ぶ声明を出した。
全人代(3月11日)写真:Roman Pilipey / Pool Photo / AP Photo
中国国務院の香港マカオ事務弁公室は14日、香港選挙制度の変更決定に「重大な懸念」を表明した主要7カ国(G7)外相による声明に反論。12日のG7声明は「事実をゆがめ、無責任な発言をしている」とし、国際法と国際関係の規範への抵触であり、「重大な干渉」だと主張した。
原題:China Slams U.K., Says It Has No Right to Supervise
Hong Kong(抜粋)
此処までがネット上で読める範囲です。
「父つぁん」は新聞紙上で読んで感じた事は、周庭(アグネス・チョウ)さんは日本語も流暢に話し、大の親日家なので日本の政界で中國のこの様な対応に対する非難決議が有って世界にアピールしても良いのではないか?
香港返還を定めた1984年の「中英共同宣言」違反だと非難する英政府に対し、中国側は駐英大使館の「根拠のない中傷」だとして反論したようだ。
ご存じの通り現在の状況になった歴史が悲しい道のりでした。
香港は英国と清朝の間で阿片戦争(第一次阿片戦争)が勃発して、南京条約で、香港島を清朝から英国に永久割譲?更にアロー戦争(第二次阿片戦争)が勃発。
北京条約で九龍半島南部の市街地を新たに割譲。
展拓香港界址専条で深圳河以南、界限街以北の九龍半島、235の島(新界)を99年間の期限で租借。
太平洋戦争勃発。日本軍が英国軍を放逐し占領した。
酒井隆陸軍中将が香港軍政庁長官に就任。
磯谷廉介陸軍中将が香港総督に就任。
日本の連合国軍に対する敗戦により英国の植民地に復帰。彼の国中國、当時は志那。当時は大陸の満州権益に於いて日本の相手は志那との間では、明治44年 (1911年)の革命で中華民国ができていましたが、まだ国として、しっかり纏まっておらず勢いのあるものが幾つかに分かれて互いに争っていました。満州は、今の東北区のことで日本の約3倍もの面積がありました。
そして、日本は、日露戦争後この満州に南満州鉄道をしいて大きな利益をあげていました。
また満州は、石炭・銑鉄なこの工業原料や大豆などが豊かなので日本はこれらの品物を満州から輸入して
代わりに、綿製品・雑貨・機械器具などを輸出していました。
このように、満州は日本の経済を支える重要なところでした。
そのころ、満州には関東軍といわれる日本の強い軍隊がわかれていました。志那イコール中國が日清戦争当時(19世紀末)の満州は人口希薄な未開の地であり、日本人が移住して、日本で働く以上の賃金を得ることができるような魅力的な場所ではありませんでした。
日本と清が戦火を交えた日清戦争では、満州もその戦場として戦禍をこうむりますが、皮肉なことに、漢人の満州移民が激増しました。
危険と隣り合わせの戦場では多くのビジネスチャンスが生まれ、貨幣経済の浸透とともに好景気となり、一攫千金を夢見て多くの漢人が満州の地に移住しました。20世紀初頭の在満漢族の人口は、1326万人を突破しました。
WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)とは その目的を達成するために作成されたのが「 戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画
」WGIP(War Guilt Information Program)である。
完全に中國側の認識を我々は読み取れました。もはや三権分立の説明を聞いて「三権分立は無い」と明言しています。
日本の昔の出島と同じでこの場所で相手国の法を治外法権として歴史上の理解が足らない?この様に中國のこの法が明らかに世界の自由にも阻止する発言に至る林鄭月娥行政長官はどうも中國本土に身内が人質として取られている様に思いますね?
世界にばら撒いた「武漢ウイルス」で世界の感染者数に無症状の人を含めず、国際的な批判を受けて公表を始めた。WHOは世界の諸国の発表をデーターとして今後の予測を立てて対策をして居ますが、死者数にも隠蔽疑惑が浮上し、不信感がさらに高まるとみられる。香港における中国の出先機関「香港連絡弁公室」は8日「こっけいな行動」であり中國国民が恐れを抱くことはないと反論したと言っていますのでこれだけの強弁をしている事で中國本土に移送して裁くと考えられます。世界から疑念を持たれる発表を鵜呑みにして居ない事をどの様に理解して居るのか?この流れで香港問題に対しては次々に逮捕!この次は中國本土に連れて行く危険が中國の発言にも見られます。
香港が英国から中國に返還される前の1995年、黎智英氏は民主化支援も視野に香港紙「アップル・デーリー(蘋果日報)」を始めたそうですが、同紙はその後の四半世紀にわたり広告ボイコットや政治的圧力にさらされながらも、中國政府や親中派の立法会(議会)議員らの動きを手加減せずに報道してきた。日本国政府も国を挙げて大きな声で発信して欲しい。
国会議員からも、自民党の長島昭久氏、立憲民主党の蓮舫氏、共産党の小池晃氏ら与野党問わず、抗議の声が上がっていると記事では書いていますが、
「俺っち」も「父つぁん」の今いる日本国政府を応援するので国を挙げて発信して欲しい。
【香港時事】香港国家安全維持法(国安法)違反容疑で逮捕、保釈された香港紙「リンゴ日報」創業者の黎智英氏をめぐり、中國本土に移送されるのではないかとの懸念が出ている。
黎智英氏をめぐり、中國本土に移送されるのではないかと言われていれば女子学生の周庭(アグネス・チョウ)氏も中國で裁かれるのでは無いのか、まだ23歳で逮捕拘束なんて当然初めてなので怯えて当然だよ。
「俺っち」はツイッターを遣らないのが言っているので、是非とも出来る人がドンドンこのリツイートを拡散して援護しなくてはいけないぜ!
香港警察は国安法違反の疑いでメディア界大物の黎智英氏を自宅から逮捕連行される黎智英(ジミー・ライ)氏と香港の女子学生活動家の周庭(アグネス・チョウ)氏も同じ日に、国安法違反の容疑で逮捕。
「俺っち」は今の中國を考えた場合、「国際連合」ではない「第二次国際連盟」を作る必要がある。
このような場合中國を名指しして、糾弾する事を考えれば自由世界のG7の共同声明に盛り込まれる必要がある。
G7は1975年からスタートしたGroup of Seven の略で、カナダ・ロシア(当時はソビエト連邦)を除く6か国で開催。
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