今日も一昨日に続いて10年前の3月11日のネット上の記事を採り上げて、巨大地震の記憶を伝えておきます。
産経新聞一面に「あなたに、伝えたい 東日本大震災10年」で連日報道で読者に記憶を呼び覚ましていました。
後日産経新聞の社会面に掲載されることに為るが、ネットニュースでも現在の状況を報告。
この事を廻りの方々は認識されていますか?と記憶を喚起して危機管理を問題提起。
そこでこのニュースを見逃した方の為に産経新聞の記事で見つけたのでアップして於きます。
ネット上のニュースから同じ様にアップしました。
この等(ら)のニュースは報道姿勢が政治色では右寄り?と左側?
社会面では日常の現在を当時の被災者が受けた巨大地震を思い掛けて行かなければいけないこと。
【3・11を想う】「仕方がない」と我慢してはだめ
https://www.sankei.com/affairs/news/210311/afr2103110062-n1.html
英紙タイムズ東京支局長 リチャード・ロイド・パリーさん
社会 地震・災害 東日本大震災 想う
取材に応じる英「ザ・タイムズ」紙の東京支局長、リチャード・ロイド・パリー氏=東京都渋谷区佐藤徳昭撮影)
日本に25年以上暮らし、英紙タイムズのアジア編集長・東京支局長を務めるリチャード・ロイド・パリー氏(52)は、東日本大震災を取材し、2017年に「津波の霊たち 3・11 死と生の物語」(日本語訳は翌年出版)を出版した。児童74人らが津波の犠牲となった宮城県石巻市立大川小の悲劇や、被災地で「目撃」された幽霊などについて記し、国内外で評価された。
--震災後、東京から被災地に向かった
「震災翌日の12日に車で出発したが、道路状況が悪く、24時間近くかかった。到着したのは13日。沿岸を中心に2週間取材した。その後も時間が許すかぎり頻繁に訪れた」
--この10年、外国人記者として、日本はどこが変わり、どこが変わっていないと思うか
「私が暮らし、仕事をする東京では、古いビルが壊され、新しいビルが建設され続けている。物理的には大きく変わったと思う」
「今では浅い考えだったと思うが、発生直後、被害は甚大だったものの、震災が今後の日本にポジティブな変化をもたらすのでは、という期待があった。歴史を見ると、大きな困難やショックが日本を新しい時代へ推し進めることがある。たとえば、黒船来航は日本を明治時代へと導いた。1945年の敗戦も、戦後時代の幕開けとなり、大きな創造力を生んだ。東日本大震災でも、同じような変化が起こるのではないかと思った。しかし、そんな変化は見られなかった」
--著書では被災者の忍耐について、「日本人の受容の精神にはもううんざりだった。過剰なまでの我慢にも飽き飽きしていた」と記した
「津波の被害があった地域の避難所では、被災者の回復力には心を打たれた。次の食事がいつ提供されるのか分からない状況で、取材する私に被災者が土産を渡そうとした。被災者同士、励まし合っている様子にも感動した。災害の被災地では、被災者に回復力や忍耐力、我慢強さがあることは、外からの支援に頼らなくてはならないわけではないという点で、強みになる」
「だが、私が日本人と政治について話すとき、あたかも政治を『天災』のように捉えているように感じる。疑惑や不祥事があっても『仕方がない』と受け止めている。民主主義の国なのだから、ここで我慢してはいけないはずだ」
--大川小の悲劇では、石巻市や宮城県を相手どり、一部の遺族が訴えを起こした
「大川小の件は、教育委員会や一部の教師に瑕疵(かし)があったのは当初から明らかだったが、訴訟は最高裁まで続いた。遺族はわが子を失い、十分苦しんだのに、苦しみが長引いた」
「多くの日本人は行政の誤りを『天災』として受容すると言ったが、訴訟に参加した遺族は違った。行政の説明をうのみにせず、納得できる説明が得られなければ問い続け、提訴に踏み切った。そして遺族側が勝訴した。こういう人が日本にもっと増えれば、日本はよくなると思う」
--震災後、「絆」がキーワードになったが、実際には分断も見られた。著書で取り上げた大川小の遺族で、一度は娘を失った者同士、親しくなった母親たちが、徐々に断絶する様子を描いた
「家族の死や大災害などの悲劇に直面するのはつらい。英国に『雲の後ろに銀色の裏地がある』(悪いことの裏にはよいことがある)ということわざがある。つらさと向き合うために、私たちは悲劇の裏に『銀色の裏地』を求める傾向がある。それが絆ではないか。つらいときに絆が生まれることがあるのは事実だが、分断が生まれることもまた事実。こうしたことを理解しないと、被災者の痛みを真に知ることはできないだろう」
(聞き手 橘川玲奈)
◇
【プロフィル】リチャード・ロイド・パリー
1969年生まれ。英オックスフォード大卒業。1995年、英紙インディペンデントの特派員として来日。2002年に英紙タイムズに移り、アジア編集長・東京支局長を務め、日本や朝鮮半島など東アジアを担当。邦訳された著書に「黒い迷宮」がある。「津波の霊たち」は2018年、英国の文学賞フォリオ賞を受賞した。
内容は現在進行形で当時の被災者を、その後を追いかけていますが日本国の国会で慰霊祭を当然企画していましたが、暫(しば)し国際問題を離れて記事を読んで欲しい!
自然災害を我が日本は受ける事がどの様なかえす事が出来るのか考える事と同時に日頃の備えをしておきたい。
国際問題としては、中國と近隣諸国が我が日本を取り込もうとしている事も日常の話題として議論して欲しい。
現在の中國が、いずれは我が国が中國の自治区に組み込まれていく前哨戦に為っている様です。
リチャード・ロイド・パリー氏の言葉の中で「父つぁん」の心に重く圧し掛かるのが、「だが、私が日本人と政治について話すとき、あたかも政治を『天災』のように捉えているように感じる。疑惑や不祥事があっても『仕方がない』と受け止めている。民主主義の国なのだから、ここで我慢してはいけないはずだ」
確かに、日本の安全保障を考える事の必要を考えれば対処しやすい様に憲法改正を議論できない「日本学術会議」や左と言われている人が東京大学を経て入省した外務省(他の省庁の官僚も!)がしゃしゃり出て「中國では中国人が土地を買えないので日本人も買えません!と何故言わないのだろう?
被災者で未だにこの地に戻れない人が多くいて、すでに非難した地で10年の生活で暮らしている。
日常生活に戻れない事が未だに続いて、結果的には移り住んだ人がそこの場所で第二の生活に根を下ろした人も多い。
「父つぁん」から「俺っち」が聞いたけれど、被災した福島の原子炉事故の風聞が未だに闊歩している現状でも、フィンランドの「オンカロ」の廃棄物処理を見て小泉純一郎元首相が総理大臣時代は原発推進の立場だったが、東日本大震災を経た2011年夏頃までには「脱原発」を主張するようになっていた。
2013年秋頃からは、講演会等でも盛んに発言するようになり、メディアに頻繁に取り上げられるようになった。この発言を脱原発や反原発を主張するみんなの党代表渡辺喜美や生活の党代表小沢一郎など野党各陣営が歓迎し、10月29日には反原発を掲げる社民党党首吉田忠智と会談まで行った。
2014年2月の東京都知事選では、脱原発を争点に立候補した細川護熙を支援したが、細川は落選した。
2018年1月10日には、自らが顧問を務める民間団体「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」の記者会見で「原発ゼロ・自然エネルギー基本法案」を発表。内容は原発の即時停止を求めるもので、法案への支持を与野党に呼び掛けた。
震災時の民主党菅直人首相は東京工業大学理工学部に入学、一年後に応用物理学科へ進学。在学中は学生運動にのめり込んだ。
学生時代を振り返っても原子炉への理解は無かったと言っても良いのに、さも専門の知識があると現場に乗り込み混乱させて置きながら現在は小泉元首相と手を組んで脱原発の混乱に巻き込んでいる。
冷却水破棄も世界基準では遥かに低いが未だに貯蔵されている。
今までの説明を聞いて「俺っち」が特に、この現状に安全性が風聞に結びついているとは思わない元首相たちの無能さを感じます。
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