2021年3月13日土曜日

あなたに、伝えたい 東日本大震災10年-その2

 今日も一昨日に続いて10年前の311日の記事を採り上げて、巨大地震の記憶を伝えておきます。

 

産経新聞一面に「あなたに、伝えたい 東日本大震災10年」で連日報道で読者に記憶を呼び覚ましていました。

 

ネットニュースでも現在の状況を報告。

この事を廻りの方々は認識されていますか?と記憶を喚起して危機管理を問題提起。

そこでこのニュースを見逃した方の為に産経新聞と読売新聞の記事で見つけたのでアップして於きます。

 

逆の時系列で今日のニュースから2本を同じ様にアップしました。

この等(ら)の新聞は報道姿勢が政治色では右寄り?と左側?

社会面では日常の現在を当時の被災者が受けた巨大地震を思い掛けて行かなければいけないこと。






  2021.3.11 11:45


手合わせ「安らかに」 児童ら84人犠牲の大川小

https://www.sankei.com/affairs/news/210311/afr2103110015-n1.html

 

社会 地震・災害 東日本大震災

 



【東日本大震災10年】大川小学校の犠牲者を悼み法要が営まれた=11日午前、宮城県石巻市(永田直也撮影)

 

 どうか、安らかに-。東日本大震災の津波で児童74人、教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小では11日、早朝から校舎前に花を手向け、手を合わせる人たちの姿があった。

 

 震災遺構として整備が進む2階建ての校舎は、剥がれたままの天井など津波の跡を今も残す。

 

 卒業生の高橋智恵さん(36)は、長女(11)ら3人の子供とともに校舎を訪れた。10年前のこの日、大川小に避難した友人が、入学直前だったその子供と一緒に亡くなった。

 

 以来、足が遠のいていたが「自分の子供に校舎をきちんと見せたいと思った」という。「亡くなった人たちの分まで生きるよ」と校舎に手を合わせ、涙ぐんだ。

 

 小5の次女、千聖さん=当時(11)=を失った紫桃隆洋さん(56)は奈良市の薬師寺から訪れた僧侶らと、子供たちのことを思い祈った。

 

内容は現在進行形で当時の被災者を、その後を追いかけていますが日本国の国会で慰霊祭を当然企画していましたが、こちらもその記事をアップしておきます。

暫(しば)し国際問題を離れて記事を読んで欲しい!

 

自然災害を我が日本は受ける事がどの様なかえす事が出来るのか考える事と同時に日頃の備えをしておきたい。

 

国際問題としては、中國と近隣諸国が我が日本を取り込もうとしている事も日常の話題として議論して欲しい。

 

現在の中國が、いずれは我が国が中國の自治区に組み込まれていく前哨戦に為っている様です。

日本の安全保障を考える事の必要を考えれば対処しやすい様に憲法改正を議論できない「日本学術会議」や左と言われている人が東京大学を経て入省した外務省(他の省庁の官僚も!)がしゃしゃり出て「中國では中国人が土地を買えないので日本人も買えません!と何故言わないのだろう?





  最終更新 3/11 09:36

戻れない古里 今も41241人が避難 東日本大震災10

https://mainichi.jp/articles/20210310/k00/00m/040/282000c

 

社会 新着

毎日新聞 2021/3/11 06:00(最終更新 3/11 09:36) English version 491文字

 



  

町のあちこちに立つ「帰還困難区域につき通行止め」の看板=福島県双葉町で、高尾具成撮影

 

 死者・行方不明者22200人に上る戦後最大の自然災害となった東日本大震災は11日、10年の節目を迎えた。津波に襲われた岩手、宮城両県の沿岸部には災害に強い新たなまちが生まれた。福島県では東京電力福島第1原発事故による避難指示の解除が進んだが、帰還できない土地が残る。

 



  

東日本大震災の現状

 

 今も避難する人が全国に41241人いる一方、被災42市町村の人口は10年前に比べて43%減った。人が戻れない、戻らない被災地は、10年の歳月を経てもなお復興が途上である現実を突きつけている。

 

被災者で未だにこの地に戻れない人が多くいて、すでに非難した地で10年の生活で暮らしている。

 

日常生活に戻れない事が未だに続いて、結果的には移り住んだ人がそこの場所で第二の生活に根を下ろした人も多い。

 

「父つぁん」から「俺っち」が聞いたけれど、被災した福島の原子炉事故の風聞が未だに闊歩している現状でも、フィンランドの「オンカロ」の廃棄物処理を見て小泉純一郎元首相が総理大臣時代は原発推進の立場だったが、東日本大震災を経た2011年夏頃までには「脱原発」を主張するようになっていた。

2013秋頃からは、講演会等でも盛んに発言するようになり、メディアに頻繁に取り上げられるようになった。この発言を脱原発や反原発を主張するみんなの党代表渡辺喜美生活の党代表小沢一郎など野党各陣営が歓迎し、10月29には反原発を掲げる民党党首吉田忠智と会談まで行った。

20142月の東京都知事選では、脱原発を争点に立候補した細川護熙を支援したが、細川は落選した。

20181月10には、自らが顧問を務める民間団体「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」の記者会見で「原発ゼロ・自然エネルギー基本法案」を発表。内容は原発の即時停止を求めるもので、法案への支持を与野党に呼び掛けた。

震災時の民主党菅直人首相は東京工業大学理工学部に入学、一年後に応用物理学科へ進学。在学中は学生運動にのめり込んだ。

学生時代を振り返っても原子炉への理解は無かったと言っても良いのに、さも専門の知識があると現場に乗り込み混乱させて置きながら現在は小泉元首相と手を組んで脱原発の混乱に巻き込んでいる。

冷却水破棄も世界基準では遥かに低いが未だに貯蔵されている。


今までの説明を聞いて「俺っち」が特に、この現状に安全性が風聞に結びついているとは思わない元首相たちの無能さを感じます。


早く故郷に戻れるように政府が責任をもって対処するには世界と日本の懸念を払拭するデータを開示できないのか?

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