日本の企業が本社を置いて居る場所の街と聞けば何処を思い浮かべますか?
当然日本の中心に為ると言われた丸の内ではないですか?確かに皇居の前の三菱村と言われる丸の内ですよね!
此処を現在は三菱地所が管理統括して居ますが、三菱地所のホームページを探ってみると次の様な記述が有ります。
東京(丸の内、大手町、有楽町)エリアは日本の発展の歴史と革新的な未来が共存しています。例えば、丸の内再構築の象徴である丸ビルでは、旧丸ビルを支えた5,443本の基礎松杭の1本が展示されています。また、日本初の近代的オフィスビルであった三菱一号館は100年以上の時を経て復元され、三菱一号館美術館として生まれ変わりました。この街は今も未来へ向かって発展し続けています。
この東京駅の一帯は駅を挟んで廻りは既に開発が難しいかもしれませんが今日の記事はこの三菱地所が東京駅前再開発プロジェクトの詳細の発表で、千代田区と中央区が隣合わせの場所に建て替えがあると言う記事です。
この発表の前に新宿西口に超高層ビル建設へという記事も有ったので記事の表題とリンク先を書いて於きます。
高さ260m 新宿西口に超高層ビル建設へ 2020年9月9日
https://www.news24.jp/articles/2020/09/09/07718739.html
日本一高いビルが東京駅前に プロジェクトの詳細発表
https://news.yahoo.co.jp/articles/a2b08187f83eefc61b41714feeea51d06fc8161a
2027年に完成予定の390メートルの超高層ビル「Torch Tower(トーチタワー)」の外通路
17日、三菱地所が東京駅前再開発プロジェクトの詳細を発表しました。 サッカーコート4面分を超える広さの土地に4つの建物が建つ計画で、計画から完成までに10年かける巨大プロジェクトです。 注目は高さ390メートルの超高層ビル「Torch Tower(トーチタワー)」。 2027年度の完成時点では、現在の一位「あべのハルカス」を抜いて日本一高い「ビル」になります。最上階からは、他の高層ビルや東京タワーを見下ろし、東京湾や富士山を見渡せるということです。
■大きく変わる東京駅前の風景
2027年に完成予定の390メートルの超高層ビル「Torch Tower(トーチタワー)」
建設予定地に行ってみると、今はまだ別のビルが建っている状態。
「日本ビルと、朝日生命大手町ビルの敷地を合わせた広さにトーチタワーが建つ予定なので、相当大きな面積のタワーになると思います」。
「Torch Tower(トーチタワー)」の建設予定地
そう話すのは、三菱地所常盤橋開発部、開発企画ユニット統括の谷沢直紀さん。
東京駅や日本銀行なども近い場所。今あるビルを取り壊したうえで、6倍以上の高さのビルが建つため、景色も大きく変わることになります。
■新型コロナでビルの形も変わる!?
3密を防ぐために設置された、全長2キロの外階段と広場
新型コロナウイルスの感染拡大を避けるため3密を避けた対策もとられています。 屋外空間を増やすため、屋外庭園を造るほか、1階から8階までビルに沿って全長2キロに及ぶ外通路が設けられます。 ビルの中を通らずに屋外を通って移動できるため利用者の混雑を避けることもできるといいます。
開発企画ユニット統括の谷沢さんは「一番大きなポイントは、どうやってオープンな空間を屋外に作っていくかというところ。外側に広がっていく空間を拡大して整備していくことにしました」と話します。
「Torch Tower(トーチタワー)」と建設予定地
新しい日常に向けて変わりつつある未来のカタチ。ビルが完成する2027年、私たちの生活はどのように変化しているのでしょうか?
「俺っち」に毎日声を掛けて呉れる人や横に為って居る時に手にしたスマホで写真を撮っている人も多い。
昔の事で恐縮ですが、三菱重工爆破事件(みつびしじゅうこうばくはじけん)は、1974年(昭和49年)8月30日(金)に日本の東京都千代田区丸の内で発生した、東アジア反日武装戦線「狼」による無差別爆弾テロ事件で、連続企業爆破事件の一つである。東アジア反日武装戦線の呼称はダイヤモンド作戦。虹作戦で使用する予定であった爆弾を流用した事件です。
今では遭遇しても必ず、ネットで動画や写真が投稿される理由もスマホの普及が寄与しているのでYouTubeに投稿できますが直ぐにスマホでネットに接続出来ますから。当時は三菱村に行っていた人も定年で今は居ないですが当時の話を聞いた「父つぁん」も場所は違うけれど、この背高のっぽのビルを建てる事を聞いて隔世の感を持って居ますって!?
この地域の歴史をhttps://office.mec.co.jp/area/history.htmlで確認をされると良いかもしれません。
1894年(明治27年)日本ではじめての貸しビルが完成、建てたのは「三菱合資会社」です。
このときまでに三菱財閥は会社名を次のように変えています。時期によって社名表示が変わるので記録しておきます。
九十九商会→三川商会→三菱商会→三菱社→三菱合資会社→三菱各社に分割
ここでテーマとする三菱地所株式会社は、1937年(昭和12年)5月7日、三菱合資会社より分社独立し設立されます。
「三菱村」といわれる丸の内オフィスビル街の地主であり大家である、三菱地所誕生!
三菱財閥の創業者岩崎弥太郎は誰もが知る人物です。
戦前の財閥時代から続く三菱グループと三井グループの競争が、今活性化している──。1870年、土佐藩が開いた九十九商会の監督に任命された岩崎彌太郎は、その翌年に廃藩置県を受けて同商会を自らの個人事業とした。土佐藩が所有する3隻の船を買い受けた彌太郎は、海運と商事を中心とした事業を展開して、1873年に九十九商会を三菱商会と改称した気鋭選──これが、「三菱グループ」の起源である。
2020年、三菱は創業150年を迎える。記念事業として三菱グループの主要27企業は計100億円を出資して、子供や若者の教育を助成する「三菱みらい育成財団」を設立し、その他にも美術館での記念展覧会や東京・丸の内での記念式典などを予定する。
その三菱と鎬を削り合ってきたのが、双璧をなす「三井」である。1673年、三井高利が越後屋三井呉服店を創業したことをルーツとする三井は、三菱をはるかに上回る300年以上の歴史を持つ。戦前は歴史と伝統のある三井が三菱をリードしていたが、戦後の財閥解体の後、時代の風を先につかんだ三菱が三井を逆転して、頂点に君臨し続けた。
だが三菱が記念すべき創業(1870年)150周年を迎えるこの時期、三井(1673年創業)が反転攻勢に出た。両雄が激突する「主戦場」のひとつが、首都東京の玄関口である東京駅周辺だ。
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