2019年11月13日水曜日

「お坊さん便」がアマゾンでの提供終了

「お坊さん便」がアマゾンでの提供終了!&セコムしてたら盗まれた……日本で展開される企業が商機に色々と工夫を凝らして消費者に提供して居ましたがそれらを迎え撃つ団体組織?との従来からの問題に苦慮して、結果撤退?
問題は僧侶の登録者数も1300超に及んでおり、革新的なアイデアが消費者、僧侶の双方に受け入れられた事になるが!


では、なぜお坊さん便が普及したのか。
その背景には、お墓参りに行く時間がない、お布施の金額が不明瞭で僧侶とはあまり付き合いたくない、などの理由で先祖供養をする「菩提寺」を必要としなくなった葬儀や供養といった法事をめぐる消費市場の変化がある。

その一方で、僧侶も収入源が減っており、少しでも法事に関わる機会を増やしたいというニーズがあったのを全日本仏教会との話し合いで対立が?

さらに安全を売って居た企業が安全を脅かして居るとトンデモナイ最大手の不祥事に我々は何処に安全を求めれば良いのか考えさせらます。
そこで思うのが日本国憲法の前文に有る「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。を思い出しましたよ。
危険性を当然排除する事が最優先ですが、かと言って自分で守ると言う事をするにはどうすれば良いのか?



 ダイヤモンド編集部,大根田康介 2019/11/09  06:00 

「お坊さん便」がアマゾンでの提供終了、全日本仏教会に屈したのか? 



© Diamond, Inc 提供 「僧侶はいらない」現代で僧侶派遣サービスの意義が問われている(写真はイメージです) Photo:PIXTA 

僧侶を手軽に分かりやすい金額で手配できることで好評を博した「お坊さん便」が、アマゾンでの取り扱いを終了する。その背景には仏教界との対立があった。今後、僧侶派遣サービスはどうなるのか。(ダイヤモンド編集部 大根田康介)

昨年比150%超の成長

僧侶派遣サービスが普及した理由
「アマゾンでの『お坊さん便』の取り扱いを終了します」――1024日、よりそう(旧みんれび)は、こうリリースした。

 お坊さん便とは、葬儀供養など仏事の際にインターネット上で民間の僧侶を手配し、全国に一律定額で派遣できるサービスのことだ。

 2013年に運営を開始し、15年から大手ECサイトのアマゾンで出品。年間累計問い合わせ件数の実績は、14年度に比べて18年度は約13倍になった。また、直近の19年第2四半期では、新規外部受注分で昨年比150%超と成長を続けている。

 僧侶の登録者数も1300超に及んでおり、革新的なアイデアが消費者、僧侶の双方に受け入れられたことになる。

 では、なぜお坊さん便が普及したのか。
 その背景には、お墓参りに行く時間がない、お布施の金額が不明瞭で僧侶とはあまり付き合いたくない、などの理由で先祖供養をする「菩提寺」を必要としなくなった葬儀や供養といった法事をめぐる消費市場の変化がある。

 その一方で、僧侶も収入源が減っており、少しでも法事に関わる機会を増やしたいというニーズがあった。


「宗教行為を商品化するな」
新勢力と旧勢力の対立
 同社の売上高に占めるお坊さん便の割合は「非開示」(同社広報)だが、同社の主力サービスであることは間違いない。

 では、なぜ売上に貢献してきたアマゾンでの取り扱いを終了したのか。
 その背景には、日本の伝統仏教界における唯一の連合組織「全日本仏教会」の存在がある。
「お坊さん便」がアマゾンで出品された際、同会は「お布施はサービスの対価ではない」「宗教行為を商品化してはいけない」といった反対声明を出した。

 こうして、新勢力のお坊さん便VS旧勢力の全日本仏教会という構図が生まれた。

 そんな中、よりそうは1年ほど前から「仏教関係者に対してお坊さん便の役割を説明する機会を増やしてきた」(同社広報)という。

 そして今年春ごろ、両者が直接対話する場が設けられた。
 その中でアマゾンでの出品が文化・宗教行事を商品化したように見えたり、不要なものだという誤解を広めてしまった側面があったこと。葬儀と弔いにおける仏事の重要な役割は、身近な人と死別した悲しみを癒す「グリーフケア」であり、その重要性を希薄化させてしまったことなどを、よりそう側が認めたという。

僧侶の目から見た
仏教界の生存競争
 こうしてみると、新勢力が旧勢力との争いに屈したともみてとれるが、事はそう単純でもなさそうだ。

 よりそうは、お坊さん便の窓口を自社サイトに一本化し、サービスを継続する。
 なぜなら、消費者心理の変化によって寺院離れが進んでいるという現実があり、全日本仏教会としては民間企業の力を借りてでも消費者と寺院との接点を維持し、グリーフケアの意義を広めたいという思惑があるからだ。

 よりそうとしても、消費者が寺院や仏事に価値を感じなくなれば、サービスそのものが成立しなくなる。そこで両者は対立ではなく、協業という選択をとったという訳だ。

 最近では、お坊さん便のみならず、僧侶派遣サービスを手掛ける企業が増えた。

 ある僧侶はこう話す。
「今の世の中、お寺を維持して僧侶たちの生活の面倒を見たいという人はほぼいない。今回の件は、よりそうにダメージはないだろう。むしろ自社サイトに一本化して勝負を賭けてくる。つまり各社とも一層、熾烈さが増していくだろう。今後、寺院と葬儀社の生き残りをかけた戦いがいよいよ始まる」

 今や、葬儀はいらない、お墓はいらない、僧侶はいらないというのが時代の流れだ。

 そんな中、お坊さん便のアマゾンからの撤退は僧侶派遣サービスの終えんではなく、むしろ仏教界とそれを取り巻くビジネスの生存を賭けた本格的な競争の号砲が鳴ったと捉えた方がいい。
 この僧侶の言葉には、そんな意味が込められている。


さらに安全を売って居た企業が安全を脅かして居るとトンデモナイ最大手の不祥事に我々は何処に安全を求めれば良いのか考えさせらます。
世界と日本の安全を考えても同じ様に思うのが日本国憲法の前文に有る「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」のこの前文に違和感を感じるのは「俺っち」だけなのか、ふと思い出しましたよ。
安全を考えると日本と自分の危険性を当然排除する事が最優先ですが、かと言って自分で守ると言う事をするにはどうすれば良いのか?
これだけ戦後以降の長き年月を経て世界状況と変化を見て居ると日本国憲法は堪えられるでしょうか?



「週刊文春」編集部 2019/11/12  06:00 

セコムしてたら盗まれた……セコム警備員が顧客宅で窃盗 警察の捜査に圧力も? 

 セコムの警備員が顧客宅で窃盗。そんな耳を疑うような事件が兵庫県尼崎市で起きた。警報機が誤作動した留守の医師宅に合鍵を使って侵入し、カルティエの高級腕時計など計125万円相当の貴金属を盗んだとしてセコム社員の坂上直希容疑者(24)が111日、逮捕された。
「事件は928日朝に発生。坂上容疑者は盗んだ貴金属を転売しており、県警は余罪も捜査中です。この事件は産経新聞が111日付夕刊でスクープ。同記事内でセコムは『逮捕の事実を把握していない』とコメントしました」(社会部記者)




© 文春オンライン ©AFLO 

 本来なら産経の報道で初めて明るみに出るはずだった本件。ところが――
「実は、セコムは全国の都道府県警の本部長・署長経験者など約60人が在籍するなど、警察OBの大型の天下り先です。今回の事件では、極秘の捜査情報が事前にセコム側に漏れており、逮捕日時まで共有されていたのです。兵庫本部が社内の警察OBを通じ、県警から逮捕日程を含む捜査情報を入手していました。現在セコム顧問である大物OBの指揮の下、県警の捜査に圧力をかけていたのではないかという疑惑まで浮上しています」(セコム関係者)

 この大物OBは、200709年に第21代警察庁長官を務めた吉村博人氏だ。大阪府警・警視庁の刑事部長、警察庁の刑事局長、官房長を歴任している。
 吉村氏を直撃した。

「そんな馬鹿なことするわけない」

――事件について当局側にもみ消しを依頼したのか。
「天地神明に誓って、そんな馬鹿なことするわけない。兵庫県警の加藤(晃久本部長)は知っているけれど、連絡していません」

――セコム側が逮捕日程を把握していたのはなぜか。
「知りません。兵庫のなんとかっていう県警のOBが今回の案件に入っていたのは知っていますが、セコムの立場で(事件を)なんとかしようとかそんなことは考えられない。県警からOBに『これを捕まえます』と直前に言うことはあるかもしれないけど、今回は知らない。会社の人間を捕まえるときに、その会社に連絡するのはありえるでしょ。でも、それ以上の動きをやっても何の得にもならないですよ」

――逮捕はいつ知ったのか。
「産経の大阪版が『抜く』らしいと会社の法務部から聞きました。でも、『しょうがないよ』と伝えた。私が噛むなんてありえないよ」

 セコムの広報は「逮捕後に警察からの連絡で知り、1日午前時点では把握していなかった」と回答。

 いずれにせよ今回の事件で「セコムしてますか」の意味が大きく変わったことは事実である。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 20191114日号)

安全を売って居た企業が安全を脅かして居ると最大手の不祥事に我々は何処に安全を求めれば良いのか考えさせらます。安全を守る警察の不祥事も日常的に報道される事も目にしますので(税金泥棒?)企業が個人や企業が安全に引き換え支払う金額に見合わない!
世界と日本の安全を考えても同じ様に思うのが日本国憲法の前文に今の時代に違和感を感じるのは


「俺っち」だけなのか、ふと思い出しましたよ。

安全を考えると日本と自分の危険性を当然排除する事が最優先ですが、かと言って自分で守ると言う事をするにはどうすれば良いのか?
これだけ戦後以降の長き年月を経て世界状況と変化を見て居ると日本国憲法は堪えられるでしょうか?

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