2019年11月12日 JAXA はやぶさ2プロジェクト
小惑星探査機「はやぶさ2」 記者説明会
本日の内容
2019/11/12「はやぶさ2」記者説明会2
「はやぶさ2」に関連して、
・リュウグウ出発
について紹介する。
•リュウグウからの出発:11月13日、10:00(機上、日本時間)(予定)
この時刻をもって、「小惑星近傍運用フェーズ」から「帰還フェーズ」へ移行する。
•出発の前提条件である、(1)科学成果に問題がないこと、および(2)出発準備が整っ ていることを、プロジェクト内で確認した。
•ホームポジションにおいて、探査機はRCSスラスタにより約秒速10cmで小惑星から 遠ざかる方向へ移動を開始する。
•5日間ほどは遠ざかるリュウグウを撮影する(「リュウグウお別れ観測」)。その後、
姿勢を変更するため、リュウグウを見ることはできなくなる。
•11月19日~12月2日にイオンエンジン試運転を実施した後に、12月3日以降にイオ ンエンジン巡航運転に入る。
朝日新聞社 2019/11/12 13:14
はやぶさ2、あすリュウグウを出発 地球帰還は来年末
© 朝日新聞社
探査機はやぶさ2と小惑星リュウグウのイメージ(池下章裕さん提供)
小惑星「リュウグウ」に着陸した探査機「はやぶさ2」が、採取に成功したとみられる砂や石を地球に持ち帰るため、13日に小惑星を出発することになった。萩生田光一文部科学相が12日、閣議後会見で明らかにした。はやぶさ2は地球までの約7億キロをおよそ1年かけて飛行し、来年末に砂や石が入ったカプセルを豪州に帰還させる予定だ。
発表や宇宙航空研究開発機構(JAXA)の計画によると、はやぶさ2は小惑星の上空20キロにある探査拠点を13日に出発。高度を上げて小惑星から離れてから、電気の力で進むイオンエンジンに点火して地球への帰途に就く。その後、太陽の周りをおよそ4分の3周して地球に近づく。来年末に豪州上空へカプセルを放出し、はやぶさ2は離脱して別の小惑星への探査の旅に出る構想だ。
はやぶさ2は今年、小惑星に2度着陸することに成功。石や砂を採取できたことが確実視されている。先月には小型ロボットを投下し、最後の探査を終えていた。
初代はやぶさは帰還までに4基あるイオンエンジンが故障したり、姿勢を制御する装置が壊れたりして帰還が危ぶまれた。はやぶさ2も、姿勢制御装置の一部に不具合が見つかっている。
今日は表題の件について「父つぁん」も漫画には子供の時にお世話に為ったがその頃の漫画家は夢が溢れていたもんです。
作者はイマジネーションの塊で、当時の下宿にかくも多くの人がトキワ莊で集まっていたんだね。彼らは互いに切磋琢磨を繰り返しアイディアを引き出す生活のトキワ莊が、今の近隣の人達によってトキワ莊跡地にメモリアルな博物館の再興に走り回って居る様子が産経新聞によって今年の6月からシリーズで9回さらに関係する記事を幾つも採り上げて居ました。同じコミックで主人公にちなんだ亀有駅周辺に「こち亀」の里として人気を得て居ます。
此方の【よみがえるトキワ荘】復元への歩み「記念館」構想に署名4000人超も、採択されず「この街は『漫画の街』と言っている割に、漫画のキャラクターが1個もない」
手塚治虫らが住んだアパート「トキワ荘」を生かす街づくりに取り組んできた東京都豊島区南長崎の住人の一人は、かつて地域にあった不満をこう振り返る。「トキワ荘」をめぐっては、平成21年に記念碑、平成24年に跡地モニュメント、平成25年に「トキワ荘通りお休み処」がそれぞれ設置され、歩みは着実に進んでいた。しかし、ハードルはまだいくつもあった。
「次代を担う子供たちにトキワ荘の文化を引き継ぐために、子供が見てすぐ分かる人気キャラクターや漫画作品を活用したいという思いが区にも地域にもあった。建物や漫画家の先生だけだと、子供たちの食いつきが悪いんです」
一つは東長崎駅改札前の「ジャングル大帝」レオ&ライヤ像だ。手塚の代表作で、執筆時期は手塚のトキワ荘時代と重なっている。
もう一つは、住人の兄貴分として慕われた寺田ヒロオの「背番号0(ゼロ)」主人公の「ゼロくん」。「豊島区椎木(しいのき)町内のZチーム」に所属しているという設定で、かつての地名、椎名町が舞台とみられたため、住民が設置を要望した。南長崎スポーツ公園前で行われた除幕式には、地元の少年野球チームの子供たちが参加した。
「手塚治虫たちが暮らしたトキワ荘が取り壊しになる」。その店とはトキワ荘近くの中華料理店で、藤子不二雄の「まんが道」にも出てくる「松葉」だった。
平成28年5月のゴールデンウイーク。「トキワ荘」跡地近くの南長崎花咲公園(豊島区南長崎)に高野之夫区長がいるのを近くの住民が見つけ、声をかけた。「メジャーあるか」。区長に求められた住民が家からメジャーを取ってくると、区長は住民に手伝わせて、公園の中にトキワ荘の復元施設が入るかどうかを確認し始めた-。
これは、取材の過程で住民から記者が聞いたエピソードだ。高野氏に確認すると、「近所に住んでいて、あの公園の前をよく通るので、(復元施設が)あそこにできないかと考えていた」と笑った。
トキワ荘を巡る地元住民の活動は、高野区政の期間に重なっている。現在81歳の高野氏が初当選したのは平成11年4月。住民がトキワ荘の記念館建設を初めて区議会に陳情したのは同年9月だ。これは財政難で不採択となった。同年6月に高野氏は「江戸川乱歩記念館」構想を発表したが、断念に追い込まれる。
そのシリーズにリンクを貼って於きますね。↓
此方はトキワ莊交番の記事に飛べます。↓
2019年11月9日 14時38分 産経新聞
【よみがえるトキワ荘】もう一つの“復元” 駅前交番が人気に
写真 (全2枚)
「トキワ荘」の外観を忠実に再現した東長崎駅前交番=東京都豊島区
後ろから見ても古いアパートそのものの交番
「写真を撮らせてください」
「2階はどういう風になっているんですか」
手塚治虫らが住んだアパート「トキワ荘」の跡地から徒歩13分ほど離れた西武池袋線東長崎駅。
警視庁目白署東長崎駅前交番には、通常の交番とは違う目的の人々がやってくる。理由は、その外観がトキワ荘そのものだから。跡地近くで建設が進む復元施設とは別に、今年3月にお目見えした“もう一つのトキワ荘”が、この交番だ。
「中は普通の交番の機能と全く同じです。2階は休憩室だけですね」。目白署の坂井明徳副署長(53)は、そう説明する。
「跡地の近くにトキワ荘ができるんだったら、駅前の交番は、『こち亀』(「こちら葛飾区亀有公園前派出所」)のような漫画チックなものになればいいな、という話をしていたんですよ」
交番が立地する南長崎5丁目の町内会長、西條敬子さん(76)は、このユニークな交番ができたきっかけをそう明かす。町会と商店会は5年ほど前から、駅前の公衆トイレなどの環境改善を区に求めていたが、なかなか進まなかった。そこへ、駅前スーパー「西友」のリニューアルと、それに伴う交番移転の話が出て、西條さんらは交番を「漫画チック」にする要望を区に出した。
区によると、要望は高野之夫区長の耳に届き、「跡地とは少し離れているが、電車を降りた人がトキワ荘を感じられるように」とトキワ荘交番の案が浮上。平成29年度に区長と担当者が警視庁に赴いて伝え、実現の運びとなった。
この交番に勤務しているお巡りさんは、どんなことを感じているのだろうか。坂井副署長に頼んで“住人”の声を聞いてもらった。
「以前より、話しかけてくれる人が増えた。住民との距離が近くなったと感じる」「パトロールで『トキワ荘交番から来ました』と言うと、皆さん知っているので、会話がしやすくなった」
トキワ荘の実物を知っているという年配者は、「こんな感じだったね」と懐かしんだという。また、40代の男性は、こう語りかけた。「漫画家を目指していたんですが、途中で諦めました。目指した原点を見られてよかったです。これからトキワ荘に関連する場所を訪ねてみます」
坂井副署長は「交番が地域に溶け込んでいるのは非常にいいことで、仕事もやりやすくなるだろう」と話す。立ち止まって眺めたくなる交番は、トキワ荘がこの地域にもたらした財産の一つだ。(鵜野光博)
シリーズの中で跡地にモニュメントを建立した時に麻生元首相の祝辞を取り付けたのは、トキワ荘跡地に本社がある日本加除出版の顧問だった小室裕一さん(69)だ。総務省幹部として住民基本台帳ネットワークなどを手がけた小室さんは、平成23年夏に同社顧問に就任していた。「たまたま、そこがトキワ荘の跡地だったんです」
行政のプロが偶然、この地に登場したことには大きな意味があった。当時のイベントなどは地元商店街や町会でつくる「トキワ荘通り協働プロジェクト協議会」が中心になっていたが、区の補助金交付など、行政との間で必要な手続きを小室さんがサポートすることになる。さらに小室さんは、後述の「トキワ荘通りお休み処」設置でも元役人の本領を発揮する。
ところで、平成21年に跡地近くの公園に記念碑「トキワ荘のヒーローたち」ができ、平成23年に赤塚不二夫が住んだ「紫雲荘」の活用プロジェクトが発足した現地で、肝心のトキワ荘跡地には象徴的なものが何もなかった。その場所が私有地だったためだ。シンボルを求める協議会の意向を受けた区の担当者は平成23年暮れ、日本加除出版を訪ねた。来街者らが迷惑をかけないよう、協議会が巡回見回りや清掃を行うことなどを説明し、待望の跡地モニュメントが実現する。
「トキワ荘通りお休み処」は、お披露目の日を迎えた。
1階には書籍とグッズコーナー、2階には住人の寺田ヒロオの部屋を再現した。再現用のテーブルなどの家具は前夜に運び入れるぎりぎりの状態で、住民と一緒に準備に当たった当時の区文化観光課係長の大橋肇さん(59)は「夜遅くにみんな総出で、明日だから間に合わないぞ、と血気盛んにやっていた」と笑顔で懐かしむ。
「俺っち」も何時でも何処でも休めるけれど、トキワ荘の跡地や記念碑を訪ねてきた人が、ひと休みできる場所がない。この問題を解決するため、地元商店街や町会でつくる「トキワ荘通り協働プロジェクト協議会」にお休み処担当ができたのは平成24年春だったそうです。
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