2021年2月25日木曜日

竹島が映す韓国の「言った者勝ち、やった者勝ち」

 韓国と何時まで領土である「竹島」や「徴用工・慰安婦問題」で解決できないのかを考えると連綿と続く反日姿勢の政権が人治主義の国であって、文在寅大統領の誕生もその延長線の上で何時までも文在寅大統領の政権が反日で韓国が友好国?ではなく、仮想敵国の隣国と言われた事でも中國や北朝鮮寄りの政策にも表れている。

当然この政権がいる限り反日色が払拭される事が無く日韓友好は夢のまた夢。日韓友好条約を結んだの事が何時だったか忘れました。

日韓議員連盟と韓日議員の発言が真逆。

 

韓国の憲法裁判所や大法院において植民地・戦争被害者の問題について日本に対してどう考えても敵対行動な判断が続いたことについて、日本のマスコミでは「日韓請求権協定で『完全かつ最終的に解決』と明文で規定しているにも関わらず、慰安婦や強制徴用労働者の請求権を認める韓国の司法は国家間の合意を完全に無視して問題を蒸し返す民族主義的なものである」との類(たぐい)の論調 が優勢である。

歴史を掘り起こして事実を発言をする人は韓国に言わせれば歴史修正主義者で採り上げる価値もない。



  2021.2.14(日)李 宇衍

性奴隷説を否定した米論文にぐうの音も出ない韓国

ラムザイヤー論文が明らかにした慰安婦と事業主の間の契約とは

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64066

 

韓国・北朝鮮政治

 



  

独ベルリンに設置された慰安婦像(写真:新華社/アフロ)

 

李 宇衍(落星台経済研究所研究委員)

 

※続編「慰安婦は性奴隷ではないと理詰めで語る米論文の中身」を読む

 

韓国で怒り沸騰のラムザイヤー論文とは

 

 128日から2週間にわたって韓国を騒がせている最もホットなニュースは、ハーバード大学のジョン・マーク・ラムザイヤー(John Mark Ramseyer)教授が「インターナショナル・レビュー・オブ・ロー・アンド・エコノミクス」(International Review of Law and Economics)に掲載した日本軍慰安婦に関する論文「太平洋戦争における性契約」(Contracting for sex in the Pacific War)だ。韓国のマスコミは「ラムザイヤー教授が慰安婦は売春婦だと主張した」と一斉に報道し、韓国社会は怒りに沸き返った。

 

 韓国の地上波MBCテレビのニュースは、「ラムザイヤー教授は『金髪の日本人』だ」という一部の韓国人による人種差別主義的な非難を、引用という形ではあるがそのまま報道した。ラムザイヤー教授は今も「親日派」「日本の戦犯企業三菱からカネをもらっている」などと罵倒されている。それこそ「メッセージに反論できなければメッセンジャーを殺せ」という言葉にぴったりの報道だった。

 

 これは韓国における政治的な戦術の一つだ。論争で勝てないなら、メッセンジャー(発話者)のふだんの考え方やプライベートを非難するのだ。そこから、発話者の専門性に疑問を持たせ、公正さや偏向性の問題にまで発展させる。つまり「メッセンジャーには道徳的な欠点があるから考え方も偏向的だ。だから主張は間違っている」となる。とにかく、しばらくの間、「反日種族主義」の渦がすべてのニュースをのみ込むというこっけいな状況が演出された。

 

 韓国の報道記者たちは論文を読んでいないか、読んだとしても要旨を把握できていない、と私は確信している。恐らく前者である可能性が高い。この論文に対する初期の報道内容はほとんどどれも同じだった。韓国の通信社「連合ニュース」が配布した記事を全メディアがほぼ丸写ししているからだ。とはいえ、これも韓国では極めて一般的な慣行だ。このような人たちに「論文を読んでみろ」と要求する私が愚かなのかもしれない。

 

ラムザイヤー論文のシンプルな中身

 

 すべての学術論文は冒頭に「抄録」(論文内容の要約)を付け、35個のキーワードを設定する。この論文のキーワードは「売春(Prostitution)」と「年季奉公(Indentured servitude)」だ。日本経済史において年季奉公人として有名なのが江戸時代の「女中」である。彼女たちはふだんは見ることもできないほどの大金を給金として受け取り、就業先へ行って数年間働いた。

 

 世界経済史の次元で有名な年季奉公人(Indentured labor)は、1819世紀、欧州から米国に移民した労働者だった。渡航には船賃や途中の食費などが必要となり、ヨーロッパの貧しい労働者にとっては大きな負担になった。米国現地の雇い主たちは渡航に必要な費用を代わりに支払い、米国に到着したあと普通は7年間、この労働者たちを働かせた。

 

 ラムザイヤー教授は、アジア太平洋戦争以前に日本の遊廓で働いていた売春婦と楼主、開戦後に軍慰安所で働いていた慰安婦と事業主との間の契約を、年季奉公契約として把握している。事業主は売春婦や慰安婦が就職する前、つまり性サービスを始める前に、前借金という名目で大金を提供し、女性たちは就職後、数年にかけてそれを返済した。女性たちは客から受け取る金額、つまり売上高を一定の割合で事業主と分割し、取り分の一部を前借金の返済に充てた。

 

 一般的に「良い論文」といわれるものがそうであるように、ラムザイヤー教授の論旨は非常にシンプルだ。まずは「売春婦と慰安婦の契約は、なぜこのような特殊な形を取ったのか?」と問う。一般的な労働者の場合は先に働いて、その報酬を日給、週給、月給などの形で受け取る。ところが、なぜ売春婦や慰安婦の場合は事業主との間で、前借金、数年の契約期間、売上高の分割の割合などが定められた独特な契約を交わすことになったのか。

 

 答えもシンプルだ。就職を持ちかけられた女性はある問題に直面する。性労働に従事することは女性の評判を深く傷つけるというものだ。だから、業者は非常に有利な条件を提示する。女性たちは、業者がその約束をきちんと守ってくれるのか、疑わざるを得ない。これを解決する方法は何だろうか。業者があらかじめ高額を支払うことである。それが前借金だ。

 

 業者も問題にぶつかる。この産業の特性上、女性たちが真面目に働いているかどうかを監視することは不可能だ。閉鎖された空間で行われる労働だからだ。たとえ手厚い待遇をしたとしても、一生懸命働いてくれるだろうか。同じ客にまた来てもらい、その女性を指名してもらえるだろうか。

 

 この問題を解決する方法は、女性が稼いだお金(売上高)を一定の割合で事業主と分割することだった。定額の給料を支払われるとなれば、女性は真面目に働かないかもしれないが、売り上げ次第で取り分が変わるとなれば頑張るだろう。その結果、前述のような特殊な形態の契約、一種の年季奉公契約が結ばれる。

 

 以上がラムザイヤー教授の論文の要旨だ。批判するなら、ラムザイヤー教授本人ではなく、論文で提起されている「問題」と「答え」である。「売春婦や慰安婦が契約を交わしたと言うが、朝鮮人慰安婦は日本の官憲によって連行された」と言い、その証拠を提示すればいいだけだ。いわゆる「強制連行」の証拠である。しかし、慰安婦問題が提起されてから30年になるが、官憲による強制連行を証明する資料はただの一つも出ていない。

 

「性奴隷(sex slave)」という単語が一度も出ない論文

 

 韓国の反日民族主義者たちが「強制連行説」の証拠として提示するのは、元慰安婦たちの「証言」だけだ。自分が日本人の軍人によって、あるいは警察によって連れていかれたという証言。しかし、私はその証言を信頼していない。ラムザイヤー教授のような第三者の立場にある外国人なら、慰安婦問題の把握において偏見がなく、そういう面ではなおさらだろう。

 

 今も慰安婦問題で日本を攻撃することに熱心であり、韓国の国家元老(?)扱いを受けている元慰安婦、李容洙(イ・ヨンス)氏の証言すら根拠にならない。

 

 彼女がカミングアウトした1993年ごろは「赤い靴とワンピースを見て付いていった」と言っていたが、2000年ごろからは「日本の軍人に連れていかれた」と証言を変えた。これまでいわゆる慰安婦運動家や研究者たちが掲げた強制連行の証言がすべて同様である。業者と慰安婦の間の「契約」を批判できなくなったそれらの人々や韓国のメディアは、ラムザイヤー教授というメッセンジャーを非難するしかなかった。

 

 慰安婦に巨額の前借金を渡し、数年にわたって返済させたという主張(これは主張でもなく客観的な事実)を批判するなら、前借金を渡さなかったという証拠を示せばいいだけのことだ。朝鮮人慰安婦たちは前借金を全額返済したり、契約期間が終了したりしたら自由の身となり朝鮮に戻ったという主張や、売上高を分割してもらい高額の所得を得たという主張も、それに相反する証拠を提示すればいい。

 

 しかし、反日種族主義者にはそれができない。証拠がないからだ。ラムザイヤー教授の論理構造にも飛躍や誤りを見つけることができない。繰り返し言うが、結局、できることはメッセンジャーを攻撃することだけだった。

 

「慰安婦は『性奴隷』ではなく『売春婦』だと主張した」というラムザイヤー教授に対する批判は、論文の要旨を把握しておらず、的外れだ。まして論文には「性奴隷(sex slave)」という単語が一度も出てこない。

 

 この論文は、慰安婦が売春婦だったことを立証するために書かれたものではないが、慰安婦と業者の間で結ばれた契約の具体的な内容は、慰安婦が性奴隷でなかったことを主張するのに利用できる。韓国の反日種族主義者はそこを突きたかった。しかし、批判できるような歴史的・客観的な事実と資料は存在せず、そのような論理的問題を提示することもできなかったのである。

 

なぜ韓国はラムザイヤー論文にいたずらに騒ぐのか

 

 ラムザイヤー教授の論文に対して、いたずらに騒ぐ理由がもうひとつある。正義連の元代表で現在「共に民主党」の国会議員、尹美香(ユン・ミヒャン)の不正行為により、慰安婦「運動」が韓国国民からそっぽを向かれたが、反日民族主義者らにはどうすることもできなかった。

 

 また2019年から韓国社会で波乱を巻き起こし、日本でも翻訳されて広く知られている『反日種族主義』という本を通じて、李栄薫元ソウル大学教授は慰安婦問題に関する新しくて説得力のある説明と資料を提示した。李栄薫教授によると、慰安婦は「性奴隷」とはいえない。私は慰安婦を「性労働者」だと理解している。しかし、反対側は今回もまともな反論ができなかった。

 

 反対側には反撃の口実が必要だった。そんなとき産経新聞がラムザイヤー教授の論文を紹介し、これをチャンスとばかりに食いついたのだ。論文に対する攻撃を行い、反日世論をあおった。状況がよく分からない韓国国民は、米国と日本でも慰安婦問題が大論争になっていると考えるほどだった。

 

 しかし、日本のメディアはこの問題に関して特に騒いでいない。米国では、ハーバード大学の学校新聞に書かれた韓国人学生記者の空しい叫びが響くだけだった。反日民族主義者らの立場から見れば、今回の騒ぎは韓国の国内的には以前と同様、大きな成果を収めたかもしれないが、対外的には慰安婦問題で日本叩きに失敗した最初の事例として記録されそうだ。(翻訳:金光英実)

 

李 宇衍のプロフィール

李 宇衍(イ・ウヨン)

落星台経済研究所研究委員。専門は韓国経済史。 1966年、全羅南道光州生まれ。成均館大学校大学院経済学科にて経済学博士号を取得。米国ハーバード大学訪問研究員、九州大学客員教授を歴任。『戦時期日本へ労務動員された朝鮮人鉱夫(石炭、金属)の賃金と民族間の格差』などの論文発表を行うなど、戦時中のいわゆる徴用工問題について研究。最近の著書は『ソウルの中心で真実を叫ぶ』(扶桑社)、共著『反日種族主義』(翻訳版、文藝春秋)が韓国、日本で大ベストセラーとなった。

 

韓国で怒り沸騰の米国ハーバード大学ラムザイヤー教授の論文に韓国内のキチガイ発言は日本と韓国で交わした平和条約を日本も破棄して臨戦態勢を打ち立てれば対等な交渉が出来るのかも知れません。

何時まで「堪忍袋」の袋に納めていればよいのか判りません。

 

たしかに、昭和41年(1965 年)に締結された日韓請求権協定 2 1 項は、次のように規定している。「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに両 締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、昭和47年(1951年)98日にサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」を文在寅大統領は弁護士の立場で考えられないからです。双方が結んだ条約は自国の憲法の上位にある事が国際的認識であってもだ。

だから韓国国軍のトップも文在寅大統領の考え方に沿った行動をしなければ要職を外されるから大変です。



   2021.2.19(金)金 遥楽

竹島が映す韓国の「言った者勝ち、やった者勝ち」

222日の「竹島の日」を前に竹島問題の歴史を振り返る

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64140

 

韓国・北朝鮮 時事・社会 安全保障



  

竹島で軍事訓練を実施する韓国海軍(提供:South Korea's Navy/AP/アフロ)

 

(金 遥楽:フリーライター)

 

 222日は島根県が条例で定めた「竹島の日」だ。竹島を巡っては、日韓間で終わりの見えない論争が続いている。その「竹島の日」を目前に控えた今、過去の文献や地図、歴史などをあらためて検証してみたい。

 

 竹島(韓国名トクト<独島>)の領土問題を語る時、当然ながら過去の地図や文献を根拠に論ずるべきだが、過去の名称と現在の名称が異なっているなど、明確にし難い部分がある。韓国の過去の地図や文献には、鬱陵島(ウルルンド)や于山島(ウサンド)などさまざまな記述があり、文献上の名称がどの島嶼を指すのか特定する必要があるが、異なる複数の解釈があり、どの説を根拠にするかで変わってしまう。

 

 韓国には1900年の大韓帝国皇帝勅令に出てくる「石島」(ソクト)が、今のトクト(日本名・竹島)だと主張する説がある。しかし、「石島」という名称は、それ以前の文献にはなく、また勅令の後も行政区域の改編で消えてしまって、今となってはどの島を指すのかわからない。

 

 鬱陵島の近くに「観音島(クァヌムド)」と「竹島(チュクト)」という2つの島がある。この「観音島」は「石島」の可能性が高いが、過去にたった一度だけ登場し、すぐに消えてしまった「石島」という名前を根拠にトクトと主張するのはあまりにもお粗末だ。なお、「チュクト(竹島)」は日本の「竹島(韓国名トクト)」とは別の島である。

 

 竹島は、1402年に李氏朝鮮で作成された世界地図 「混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだいこくとのず)」には記載されておらず、朝鮮王朝が竹島を認知していなかったと考えるのが妥当だろう。その後は、18世紀まで島の記載がある地図とない地図があり、また位置の誤りなどもある。朝鮮王朝が竹島を認識していたかどうか疑問である。

 

李氏朝鮮の時代も今も変わらぬ精神性

 

 江戸時代、竹島は「松島」と呼ばれた無人島で、鬱陵島に向かう航行の目印や停泊地として利用され、のちに江戸幕府の許可を得てアワビ漁なども行われていた。

 

 18世紀中期に作成された朝鮮の地図帳「海東地図」の「鬱陵島図」には鬱陵島に日本人が出入りしていたという記載がある。もし韓国がトクトを認識していたのなら、当時の日本人が鬱陵島へ向かう中間地点として竹島を利用していたことは理解していたはずだし、その記述があっても不思議ではない。

 

 しかし、「鬱陵島図」にトクトに関する記述はない。1417年から1881年まで朝鮮は鬱陵島への渡航・居住を禁止していたことから、19世紀後半にはまだ竹島を認識していなかった可能性が高いと考えられる。

 



  

鬱陵島への渡航や居住を禁止していた朝鮮(写真:Topic Images Inc./アフロ)

 

 竹島問題の解決を図るには、1876年の日朝修好条規以降の日韓それぞれの記録を照合して、比較検証すべきだろう。

 

 西欧諸国がアジアに侵攻し始めた時代、朝鮮は清国との伝統的な関係を維持しつつ、西欧列強侵攻からの「一定の保護」を求めて日朝修好条規を結んだ。いまだ清の力を信じていた朝鮮は、清には属国のような曖昧な態度を取りながら、諸外国と条約を結んで良いとこ取りをする外交を目論んだのだ。どっちつかずの態度が垣間見えるが、現政権の外交姿勢とそれほど変わらないようにも思う。

 

 日朝修好条規は不平等条約だったという主張がある。だが、当時、西欧に対して鎖国をしていた朝鮮は国際情勢が変わっていることを部分的には知っていても全体的に把握することはなく、先に開国した日本から西洋式文化をとり入れようとする声が上がっており、日本からの一方的な強要で結ばれた条約では決してなかった。

 

 後から知らぬ存ぜぬで被害者意識を前面に主張して反故にしようとする姿は、現在の悪化している日韓関係の根底にある心理と重なり、昔と変わらぬ韓国の姿を想起させる。

 

曖昧な態度が韓国の姿勢を増長させる

 

 その後、独立した韓国は第二次大戦後のサンフランシスコ講和会議に参加できなかった。その会議で調印された平和条約で済州島、巨文島及び欝陵島を含む韓国の独立が認められたが、会議に参加できなかった韓国は竹島が日本領になっていることを認めないと主張し、1951年から1965年まで行われた日韓会談でも竹島に言及した。

 

 竹島については、紛争に関する交換公文で「別段の合意がある場合を除くほか、両国間の紛争はまず外交上の経路を通じて解決するものとし、これにより解決することができなかった場合は、両国政府が合意する手続きに従い調停によって解決を図る」ことになっているが、外交にせよ、調停にせよ、双方の歩み寄りがなければ始まらず、日本の提案に韓国がノーと言えば何も進まない。

 

 実際、日本側が国際司法裁判所に提訴しようにも韓国側が応訴の要請を聞き入れず、問題を先送りにした状態のまま、韓国は竹島を占拠して軍事訓練や観光ツアーを開始するなど、竹島がまるで韓国の領土であるかのように振舞うことで実効支配を目論んでいる。慰安婦像の勝手な設置も竹島の不法占拠も、「言った者勝ち、やった者勝ち」の心理から来る韓国のお家芸だ。

 

 日韓会談で韓国は竹島問題よりも、補償問題の解決に重きを置き、日本からの無償3億ドル、有償2億ドルの提供を受ける内容で決着した。当時、韓国の国家予算は3.5億ドルである。この金銭で 「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を果たしたが、国民に明確に示さなかった徴用工問題は、その後に提起された慰安婦問題と併せて現在も禍根を残している。竹島も然りで、日韓会談で曖昧な決着を出した結果が今の竹島問題の深刻化につながり、自分勝手な主張を押し通す韓国の姿勢を増長させた。

 

 結局、日韓合意の内容を詳細に確認し合わなければ竹島問題のみならず、日韓間の歴史的諸問題は真の解決をみないのだ。新年の会見で文大統領は65年の日韓合意を「両国政府間の公式合意」と認めたが、竹島問題についても日韓条約の交換公文に倣った態度で臨んでほしいものだ。

 

金 遥楽のプロフィール

金 遥楽(キム・ハラ)

1976年、日本生まれ。日本で管理栄養士と健康運動指導士の資格を持つ。2007年から2012年までニューヨークで政治学を専攻。2012年に韓国人と結婚後、韓国にて日韓ママライターとして活躍している。

 

間違いなく官房長官の加藤氏は「堪忍袋」に納めて発言しています。

 

「尖閣諸島は歴史的にも国際法上もわが国固有の領土であり、現にわが国はこれを有効に支配しており、尖閣諸島をめぐり、解決すべき領有権の問題はそもそも存在していない。中国側の申し入れは全く受け入れられない」とも語り、中国に反論しているとも説明した。内政干渉との指摘については否定した。

 

日本の民間軍事兵器研究者のレポートを韓国側の兵器戦略資産調達に使ったというのだから驚きだ。

 

戦後、李承晩ラインは、昭和27年(1952年)118日に韓国初代大統領・李承晩が大統領令(国務院告示第14号)「隣接海洋に対する主権宣言」を公表して設定した「韓国と周辺国との間の水域区分と資源と主権の保護のため」と主張する海洋境界線である。

竹島が映す韓国の「言った者勝ち、やった者勝ち」は「父つぁん」としては法の正義もヘッタクレモ無いと!

対抗手段を言葉で効き目があるのか何時も同じ言葉の連発で事が進むのでしょうか?

 

中國もロシアも権威主義であって、覇権主義に韓国の文在寅大統領も狙っている。

是非外務省のサイトで強調する為に文字色を変えているので確認して於いて下さいね。我が日本人に判る様に発信しているのでしょうが、この竹島や尖閣諸島、北方領土問題も詳しく資料と経緯を同じ内容で韓国のハングル文字や諸国に判る様に多言語を使って発信しているのでしょうか?外務省のチャイニーズスクール、ロシアンスクールの官僚にどちら側の官僚なのか国民に判る様に説明させて頂きたい。

 

日本の外務省や防衛省も粛々と言葉だけではなく実効支配や行動で何が出来るかを考えて行かなければいけない時期が来ている様に思う。



  令和2423

日本の領土をめぐる情勢

https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/index.html



 
 

竹島の領有

 

1

1618(),鳥取藩伯耆国米子の町人大谷甚吉,村川市兵衛は,同藩主を通じて幕府から鬱陵島(当時の日本名「竹島」)への渡海免許を受けました。これ以降,両家は交替で毎年1回鬱陵島に渡海し,あわびの採取,あしかの捕獲,樹木の伐採等に従事しました。

()1625年との説もあります。

 

2

両家は,将軍家の葵の紋を打ち出した船印をたてて鬱陵島で漁猟に従事し,採取したあわびについては将軍家等に献上するのを常としており,いわば同島の独占的経営を幕府公認で行っていました。

 

3

この間,隠岐から鬱陵島への道筋にある竹島は,航行の目標として,途中の船がかり(停泊地)として,また,あしかやあわびの漁獲の好地として自然に利用されるようになりました。

 

4

こうして,我が国は,遅くとも江戸時代初期にあたる17世紀半ばには,竹島の領有権を確立しました。

 

5

なお,当時,幕府が鬱陵島や竹島を外国領であると認識していたのであれば,鎖国令を発して日本人の海外への渡航を禁止した1635年には,これらの島に対する渡海を禁じていたはずですが,そのような措置はなされませんでした。

 



  

▲大谷・村川家への渡海免許、鳥取県立博物館所蔵『竹島渡海由来記抜書』所収の写し

渡海免許(PDF)

 

竹島の領有権に関する日本の一貫した立場

 

竹島は,歴史的事実に照らしても,かつ国際法上も明らかに日本固有の領土です。

 

韓国による竹島の占拠は,国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり,韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。

 

日本は竹島の領有権を巡る問題について,国際法にのっとり,冷静かつ平和的に紛争を解決する考えです。

 

()韓国側からは,日本が竹島を実効的に支配し,領有権を再確認した1905年より前に,韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。

 



  

所在地図



  

周辺地図



  

詳細地図(出所「国土地理院」)

 

国際司法裁判所への付託の提案

 

1

我が国は,韓国による「李承晩ライン」の設定以降,韓国側が行う竹島の領有権の主張,漁業従事,巡視船に対する射撃,構築物の設置等につき,その都度厳しく抗議してきました。

 

2

そうした中,我が国は,竹島問題の平和的手段による解決を図るため,1954(昭和29)年9月,口上書をもって竹島の領有権に関する紛争を国際司法裁判所(ICJ)に付託することを韓国に提案しましたが,同年10月,韓国はこの提案を拒否しました(1)。1962(昭和37)年3月の日韓外相会談の際にも,小坂善太郎外務大臣(当時)から崔徳新韓国外務部長官(当時)に対し,本件をICJに付託することを提案しました。しかし,韓国はこれを受け入れませんでした。

 

3

さらに,2012(平成24)8月,我が国は,李明博韓国大統領(当時)が,歴代大統領として初めて竹島に上陸したことを受け,改めて,口上書をもって竹島の領有権に関する紛争をICJに付託することを韓国に提案しましたが,同月,韓国は我が国の提案を拒否しました(2)。

 

(1ICJへの付託は,1954年当時,米国も韓国に対して勧めていました。1954年に韓国を訪問したヴァン・フリート大使の帰国報告には,「米国は,竹島は日本領であると考えているが,本件をICJに付託するのが適当であるとの立場であり,この提案を韓国に非公式に行った」との記録が残されています。



  

▲ヴァン・フリート大使の帰国報告(写し)

(2ICJは,紛争の両当事者が同裁判所において解決を求めるという合意があって初めて当該紛争についての審理を開始するという仕組みになっています。我が国は,国際社会における「法の支配」を尊重する観点から,1958年以来,合意なく相手国が一方的に我が国を提訴してきた場合でも,ICJの強制的な管轄権を原則として受け入れています。しかし,韓国はこのような立場をとっていません。

 

したがって,仮に我が国が一方的に提訴を行ったとしても,韓国が自主的に応じない限りICJの管轄権は設定されないこととなります。

ヴァン・フリート大使の帰国報告(PDF)

 

この竹島問題のICJ(国際司法裁判所)への付託は,1954年当時,米国も韓国に対して勧めていました。1954年に韓国を訪問したヴァン・フリート大使の帰国報告には、「米国は、竹島は日本領であると考えているが、本件をICJに付託するのが適当であるとの立場であり、この提案を韓国に非公式に行った」との記録が残されています。

 


「俺っち」は韓国が仲裁機関へ出廷できない理由は想像出来ます。

不満が満天下に示されたという皮肉な事態となっている政権!

 

外務省としては、国際社会における「法の支配」を尊重する観点から、1958年以来、合意なく相手国が一方的に我が国を提訴してきた場合でも、ICJの強制的な管轄権を原則として受け入れています。しかし、韓国はこのような立場をとっていません。

 

日本の問題として韓半島の北朝鮮の拉致問題を先に解決するために奪還作戦を行えば、当然世界の理解を得られるかもしれないので、実行作戦を先に公表?を行うと韓国にもかなりなインパクトを与える事が可能かもしれない。

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