2020年12月12日土曜日

築地市場からノーベル賞経済学者が学んだこと

 日本学術会議問題は日本では「ノーベル賞」を輩出できないと思うよ。

 

「知」の組織の集団では有っても、残念ながら自由に研究をさせない組織がリベラル派といわれ、昔からの生活の中にも色々な情報を採り上げる事に於いては難しい問題としてちょっとした疑問に於いてのブレーキを掛ける事になっているのでは無いだろうか?

 

今日の記事で本年( 2020年)の、ノーベル経済学賞を受賞したポール・ミルグロム氏が研究していた理論でオークションの効率さを確認した現場が日本で行っていた「築地」での競(せり)りで確認出来たと言っていました。

 

日本学術会議問題で任命拒否を左派メディアと野党の追及ばかりを我々が見せられていますが世界では何と科学者の発想を日本で確認する様に、保守的な従来の中にも研究に値する事象が埋もれています。

 

何が兵器に結び付くか判らないのに研究段階で、かなり神経質になっているのかが判ります!

 

後日、日本の「ノーベル賞」受賞は中國と比較して、もはや絶望的なのでは無いかもしれないという記事も採り上げたいと思います。

 



  佐々木 一寿 2020/12/10 07:00

築地市場からノーベル賞経済学者が学んだこと 元コンサルの学者離れした「オークション」理論

 



  

© 東洋経済オンライン 2020年、ノーベル経済学賞を受賞したポール・ミルグロム氏(写真:AP/アフロ)

 

2020年、ポール・ミルグロムが師であるロバート・ウィルソンとともにノーベル経済学賞を受賞した。

 

マーケット・メカニズム分析とその設計を研究する分野を「マーケット・デザイン」と呼ぶが、オークションの理論を応用し、実際に多くの恩恵を私たちにもたらした功績を評価されての快挙である。

 

氏の画期的な業績となり、主著『オークション 理論とデザイン』でも展開されたオークション理論の意義と、それを可能にした彼の人となりをみていこう。

 

勃興する「オークション理論」

 

 オークション理論とマッチング理論は、マーケット・デザインと呼ばれる経済学の領域にあり、マーケット・デザインはまさに急速に勃興してきた分野である。まずは歴史的経緯的な概略を追っていこう。

 



  

『オークション 理論とデザイン』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

 

 オークションに関する現代経済理論が生まれたのは1960年代といわれる。ウィリアム・ヴィックリーによる「2位価格封印入札オークション」の均衡解の理論的解析に関する歴史的な論文が1961年に発表されたことをきっかけに、理論的な検証が先行していく。

 

 当初は理論的な帰結の確認が主であり、実務にインパクトを与えることは多くなかったが、1994年、連邦通信委員会(FCC)が周波数オークションを実施して以降、オークション理論分野の成果が顕著にあらわれてくる。これがミルグロムとウィルソンの手によるものであり、新しい分野であるマーケット・デザインが大きく注目を集めるきっかけになった。

 

 1996年にはオークション理論への貢献により、ヴィックリーがノーベル経済学賞を受賞(ヴィックリーは受賞発表の3日後に亡くなっている)

 

 1998年にはアルヴィン・ロスが設計した全米の研修医の画期的なマッチングプログラムが採用される(これが2012年のノーベル賞受賞につながる)

 

 2000年には英国の周波数オークションで340億ドルの収益がもたらされ、設計者はエリザベス女王から叙勲を受けている。

 

 そして2001年には周波数オークションが世界標準になり、世界総額で1000億ドル(10兆円)を超える売り上げに達する。

 

 マーケット・デザインは、実質的に十数年で長足の影響力拡大を成し遂げたのである。

 

 携帯電話などで使用する周波数帯のオークションは多大な収益を生むことになったが、それ以前はといえば、単なる抽選や関係者ヒアリングで割り当てが決定されていた。

 

 ヒアリングには調査費用と時間がかかるが、そのわりにはマッチングがうまく行われているとは到底言えなかった。簡単に言えば、社会的に最善のプレイヤーにより高い価格で落札されることがよい結果とすれば、それには程遠いものだった。

 

 市場のメカニズムの利点は、いわば並行処理されるコンピューターのごとき計算を瞬時に自律的に行えるところにある。市場の持つこのパワーで資源の配分調整を行えることが、マーケット参加者と社会に大きな恩恵を与える。

 

 経済学で理論的にも確認されていた市場のパワーだが、単純な取引であればまだよいが、実際には少し複雑な市場になるとすぐにうまく機能しなくなってしまう。「市場は神童だが風邪もひきやすい」というわけだ。

 

 その難点を市場の設計(マーケット・デザイン)の工夫によって解決し現実的に機能させよう、そしてできるならより広範な市場で機能させよう、というのがこの分野の動機であり目的であった。

 

 それはいまや現在進行系で目覚ましい成果を上げており(最新論考でいえば『ラディカル・マーケット』)役に立つ経済学の筆頭分野として挙げられるまでに至っている。

 

2020年のノーベル経済学賞

 

 そして今年(2020)にはポール・ミルグロムがノーベル経済学賞を受賞。スウェーデン王立科学アカデミー経済学賞委員会は「基礎理論から始め、実社会に応用し、それが世界に広がった。彼らの発見は社会に大きな利益となった」とその理由を語っている。

 

 ミルグロムは紛うかたなき理論家である。それも主流とは言いがたい立場の理論家として長い時間を過ごしていた。彼はオークション理論の可能性にいち早く気付いてはいたが、その有用性に関して経済学界そして行政関係者の評価は当初冷ややかだった。

 

 まず、1つ目の武器である「ゲーム理論」自体へのアレルギーが1980年代当時、経済学には存在した。マーケット・メカニズムにゲーム理論的なアプローチを導入することはいまでこそ常識であるが、それが常識となるまでにはそれなりに長い議論が必要だった。

 

 つぎに「理論か事実か」の論争だ。彼にとどまらず経済学者は往々にして実務者からこのような批判にさらされるのが常である。ミルグロムはオークション理論を「美しい」とよく表現する。それは理論家ならではの感想だと思うが、同時に「役に立つか」を冷静かつ徹底的に考えていく。

 

 理論が役に立つかどうかは、実際に検証されなければならない。美しい理論の実効性を検証するためには実験が必要で、ミルグロムは実験経済学的アプローチで自身のアイデアを徹底的にロードテストしながら、納得がいくまで試行錯誤を繰り返し、理論へのフィードバックを行っていった。

 

 行政担当者および世論の評価も非常に重要である。施策が失敗したときに責任が発生する担当者や、デメリットを直接被ることになる企業家たちが新しいアプローチに逡巡するのは無理もなく、「研究者の社会実験に付き合う気はない」というわけである。

 

 オークション理論が真に認められるためには「実際に機能させるしかない」。ミルグロムの並々ならぬ決意があっただろうことは想像にかたくない。

 

 ミルグロムは大学教員になる前にはアクチュアリー(保険の数理的設計をする職業)であり、大学教員になってからも企業コンサルティングに従事している。その経歴も、実用性重視の姿勢を物語っているようである。理論家として卓抜しているが、構築した理論が実効的かどうかに真摯にこだわる、いや誤解をおそれずに言えば「学者離れした」こだわりをみせるのがミルグロムという研究者の特徴であり凄みであった。

 

 そんなミルグロムの問題意識、アイデア、理論実装、検証、実施、反省点まで、その格闘の軌跡とともにまとめられているのが『オークション 理論とデザイン』である。

 

 先行するオークション理論を丹念に検討しつつ、自身の新規的なアイデアを検証結果とともに披露する第一級の経済学教科書でありながら、「オークション理論が真に認められるためには、実際に機能させるしかない」という執念が論運びや数式にまで滲み出る、そのような不思議なテンションを湛えている。

 

 見どころは多いが、とくに彼の画期的な成果である「同時競り上げオークション」を本人の丹念なレクチャーで見られるのは、本書の最大のポイントだろう。

 

ミルグロムが見た「築地市場」

 

 ミルグロムは日本にも訪れている。1998年に来日した際に、友人の研究者(ジョン・マクミラン)と築地市場を見学している。

 

 巨大な市場が実用的かつ迅速に機能している、その競りを驚嘆しつつ眺めていたと語っている。見学のあと、ミルグロムはマクミランと場内の寿司屋に入り、刺身を食べ日本茶を呑みながら、その目で直に見たことを議論したという。

 

 同時進行的に行われる、それぞれが独立しつつ全体が調和する結果を生み出す、その巨大な経済装置は、ミルグロムという経済学者の目からは一味も二味も違って見えたに違いない。その経験が、その後の彼の理論構築にもつながっていったようである。

 

 翻って、築地市場を擁した日本の、これまでのマーケット・デザインの取り組みは、十分に豊かなものだっただろうか。社会善の実現のためにマーケット・デザインの洞察をもっと活かせる場面はないだろうか。貴重な周波数の割り当て、研修医・教職インターンのマッチング、臓器提供、保育園のマッチング、社員の配属のマッチングといった分野にもし応用ができ、より改善ができていくとすれば、それは設計する経済学者の名声以上の恩恵をもたらすのではないか。

 

 ミルグロムの気迫あふれる記述は、そのように囁いているようである。

 

佐々木 一寿 : (ささき かずとし)Kazutoshi Sasaki

経済評論家、作家

 

横浜国立大学経済学部国際経済学科卒業、大手メディアグループの経済系・報道系記者・編集者、ビジネス・スクール研究員/出版局編集委員、民間企業研究所にて経済学、経営学、社会学、心理学、行動科学の研究に従事。著書に『経済学的にありえない。』(日本経済新聞出版社刊)などがある。

 

当然そんなミルグロムの問題意識、アイデア、理論実装、検証、実施、反省点まで、その格闘の軌跡とともにまとめられた書籍の翻訳本が平成19年(2007年)に出ていました。

ミルグロムは日本にも訪れている。平成10年(1998年)に来日した際に、友人の研究者(ジョン・マクミラン)と築地市場を見学した後ですが、理論が裏打ちされた現場を見て出版したのでは無いでしょうか?

 

当時の日本政府は学術会議の「立候補者数の減少」など「学者の学術会議離れ」をその理由にあげていたが、当時の国会では、この「推薦制」に反対する声も野党側からあがっていた。野党ですよ!(何時の話なのか?自民党なのかしら)

 

当時も政府内に学術会議に対する批判的な目線があったことから、今回のような「恣意的な人事介入」を懸念していたのだ。

 

「俺っち」がこの話を聞いて「父つぁん」共々、左の政権では無い安倍晋三前首相とそれを受け継いだ菅義偉首相誕生で少しは安堵したようですが?

 

菅義偉首相誕生で閣内に入閣した内閣官房副長官兼内閣人事局長で杉田 和博氏(すぎた かずひろ、1941422日生)は、日本の警察官僚。神奈川県警察本部長や内閣情報調査室長、内閣情報官、内閣危機管理監なども歴任した人を入れた事は大変心強い。



  202011051929

菅首相、学術会議推薦は「尊重」 任命に裁量の余地―参院予算委

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020110500932&g=pol

 



  

参院予算委員会で答弁する菅義偉首相=5日午後、国会内

 

 菅義偉首相は5日の参院予算委員会で、日本学術会議から推薦された会員候補の任命について、「推薦を尊重しつつも任命権者として判断する」と述べ、任命に際しては自らに裁量の余地があるとの認識を示した。立憲民主党の小西洋之氏への答弁。

 

【点描・永田町】「前例」の可否めぐる“ご都合主義”

 

 日本学術会議法は会員の決定方法に関し「(学術会議の)推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」と定めている。政府は1983年の国会答弁で首相の任命権を「形式的」と説明しており、菅首相の発言は同法の解釈を逸脱しているとの指摘も出そうだ。

 

この様な経緯は当時の遣り取りで資料が残って居るならば時代に即した変更をして行かなければいけない。

 

中國に依る1000人計画が現在の日本学術会議に所属する学者にも手が付けられていて声を掛けられた人は反論して居るようですが、日本の国も学者に対しての扱いが冷たいと思うのは「父つぁん」の憂慮で済まないのでは?

 

研究者の処遇が冷たいと企業や大学に於いても顕著ですから!

 

例えば、高(好)待遇で中國が行って居る「千人計画」ですでに1,000人以上の日米英独等の科学者が参加かと豪報告書で報告されています。

 

原子炉問題で原子力関係者は大学の研究も間違いなく中國の懐で資金供与を受けて研究して居ると思うよ?

 

日本学術会議は、会議が推薦した会員候補105人のうち6人を除外して任命されて、これ以外にも多くの人にも身元を洗えば更に人数が増えたかもしれない。

何れにしても令和2101日より第25期がスタートしましたが、本来ならばGHQの意向に沿った出自の問題点を検討して欲しい。

 


「父つぁん」が言って居た事を聞いて「俺っち」も、当時のGHQは日本の国体を潰すと言う事であらゆる団体や政策に関与!潰されたまんま現在まで日本学術会議は温存されて来たことが不思議です。

 

左派と右派のイデオロギー対立で大きな政府=中國やロシア、民主的な政府(小さな政府)と分ければ左翼と右翼、「俺っち」も、この会議に日本共産党の介入が有ると言われて居るので国の管轄機関であり尚更首相は任命権を持って居るとされて居るので当然行使しなければいけないし、野党が言って居る説明も必要に為ります。

 

そこで「学術会議」及び野党の追及と杉田副官房長官の意見のどちらを取って政策を実行するのか注目したい。

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