2020年10月3日土曜日

コロナで売り上げ減…閉店を客から惜しむ声

 「武漢ウイルス」で世界各地や日本に於いて従来の生活に於いての影響は多くの老舗の閉店だった!経済は人が動いてなんぼの結果から廻って行くので、動けない経済で資金回収の活動が出来なければ必然的に閉店を考える事にやむ負えない決断を行って居た。

「父つぁん」はキッチンジローには学生時代にいろんな場所の店で見つけては食事をして居たって言っていたよ。

 

採り上げたお店はキッチンジローの他は知らない様だけれど、この採り上げたお店は老舗と言われて居るお店なので多くの人の記憶にあると思います。



  2020.05.13 井の頭公園 吉祥寺通り

食べる 見る・遊ぶ

井の頭公園を臨むレストラン「芙葉亭」が閉店 33年の歩みに幕

https://kichijoji.keizai.biz/headline/2910/

 



  

円形の外観が目を引く芙葉亭の建物

 

 吉祥寺の井の頭公園を臨む一軒家のフレンチレストラン「芙葉亭」(武蔵野市吉祥寺南町1)が56日、閉店した。



  

56日の閉店を知らせるお礼の気持ちが表れた貼り紙

 

 オーナーの中山葉子さんに子どもが生まれた後、実家を改装し、1988(昭和63)年にオープンした同店。しゃれた洋館の外観やらせん階段のある内装などが人気を呼び、吉祥寺までわざわざ出向く人たちでにぎわったという。バブル崩壊後、価値観が移ろい、人々の飲食への考え方も変わったが、スタイルを貫いて営業を続けてきた。コロナの陰が店にも出始めた頃、「感覚的に怖さ」を感じて、今回は乗り越えられないと411日に閉店を決断した。

 

 閉店を案内した後、ローストポークやズワイガニとウドのテリーヌなどのテークアウトを買い求める行列ができ、3密になるため、423日に販売を中止した。ローストビーフ弁当も閉店までの分が予約完売。中山さんは連日、満席となるランチとディナーへ切れ目なく接客したという。「こんな小さなレストランを取り上げてくれて」と取材にも追われた。

 

 33年の間の思い出があふれる店を閉める最後の日を迎えても、「感慨に浸っている暇はない」と中山さん。「今までもそうだったが、経理、事務、用務と経営を一人でこなしている。従業員への支払い手続きの書類も書かなければならないし、残務処理に忙殺されている」。

 

 吉祥寺のランドマークのように街の人に愛されてきた同店。「生まれたときからここで暮らし、結婚してからも同じ場所でレストランを営んできた。この街を出たことがないし、吉祥寺しか知らないから」と住み家でもある建物は取り壊わさず残すという。「借り手がつけば店の雰囲気を受け継いだままレストランとは違う形で営業してもらえたら」と山中さん。「井の頭公園の木々の中に立つ洋館でまた皆さんにお会いできたらいいわね」とほほ笑む。

 

出店の切っ掛けは何であれ今年が33年に為って夢は大きく為る筈では無かったのか?世界が「武漢ウイルス」に依って生活のチェンジをする事に為るとはご本人も然る事ながら全ての人にも及んで来たのが何とも空しい!

 

日本には長くお店や企業を維持する事に何にも違和感がない。

何処の国よりも長く存続させる気質を持つ日本。

ネットの利用で巨大化する企業も多くGAFAの様な大メーカーで作って居たものに我々は喰いこむチャレンジが乏しいのかも知れませんが!

一応なんでも気にかける必要がありますが。

 

チャレンジする人にはともあれ、自分が興すお店や企業の対処法にヒントが有るのか判りませんが、日本人の地道な努力は此れからも必要では無いだろうか?

 

日本も世界も「武漢ウイルス」問題でどこも経済問題で四苦八苦して居る時に今迄の努力を惜しむ人がどのお店でも聞かれます。



  2020525 1943


「コロナに負けた」老舗の洋食店が閉店 東京 葛飾区

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200525/k10012444291000.html

 



  

東京 葛飾区の洋食店は、今後も新型コロナウイルスの影響は続くとして、25日、半世紀余りの歴史に幕を閉じました。



  

東京 葛飾区のJR新小岩駅前にある老舗の洋食店「うちだ」は、昭和43年に創業し、分厚いステーキや、とんかつが長年、地域の人たちに親しまれてきました。

 

しかし、新型コロナウイルスの感染拡大で客足が遠のいたことで、緊急事態宣言が出された先月の売り上げは、例年の1割ほどに落ち込み、今後も影響は続くとして店を閉じることを決めたということです。



  

最後の営業日となった25日は、常連客などが次々に訪れ、ノートに感謝のことばをつづったり、店主と写真を撮ったりして別れを惜しんでいました。

 

店には、たくさんの花束や「おいしいごはん、ありがとう。50年間お疲れさまでした」と、よく訪れていた小学生が描いた絵も飾られていました。



 

子どものころから長年通っていた男性は「昔からここの肉が好きだったので、閉店は信じられないです。こういう特徴ある店が町の雰囲気を作ると思うので、残念です」と話していました。

 

店主の内田勝利さん(76)は、「もう少しできると思っていましたが、コロナに負けたという感じです。やめないでという声も多くいただきましたが、この先も影響は続くと判断しました。もっと明るくお別れしたかったです」と話していました。

 

最後に「父つぁん」も贔屓にしていた「キチンジロー」のお店が前回の東京オリンピック」開催の時にスタートした場所の神田神保町?のお店は無事なのだろうか?

 

最盛期の1996年には、直営店27店舗、フランチャイズ店27店舗の規模であったが、その後、店舗数を減少させたそうです。

 

今は15店舗ある内の残りの2店舗である九段下店、中之島フェスティバルプラザ店は10月以降も営業を続けると発表して其の内の他の神田店を畳むという記事を採り上げます。

 

発祥の神田神保町はこの場所には有名な神田古本街で良く歩いた街で確かにこの町で食して居たと「父つぁん」も寂しがっていました。

 

確かに日本も世界も「武漢ウイルス」問題でどこも経済問題で四苦八苦して居る時に人の動きを止められれば最早お金も動きません。

 

今迄の工夫が「武漢ウイルス」で全て壊される事に為った様ですが新規に企業化をしようと立ち上げたばかりのお店や企業は尚更なのでは無いだろうか?



  2020.10.1 06:20 国内

キッチンジローが13店舗閉店 コロナで売り上げ減客から惜しむ声

https://www.sankeibiz.jp/macro/news/201001/mca2010010620009-n1.htm

 

 東京都千代田区の神田神保町で昭和39年に創業した洋食チェーン「キッチンジロー」は9月30日、新型コロナウイルスの感染拡大による売り上げの低下を理由に13店舗を閉店した。

 



  

キッチンジロー外神田店には開店最後の9月30日、ひっきりなしに客が訪れた=千代田区外神田

 



  

キッチンジローの山村進代表

 

 この日が最後の営業となった秋葉原の外神田店にはひっきりなしに客が訪れ、別れを惜しんだ。東京と大阪にある2店舗は今後も営業を続けることが決まっており、同社は「残る店舗で経営を立て直し、復活したい」と意気込む。

 

 秋葉原のパソコン関連ショップが立ち並ぶ通りの一角にある外神田店は、昭和58年に開業した一番古い店舗で、この地を訪れる人々に人気を博してきた。

 

 営業最後の日となった30日の午後3時ごろ。ほぼ満席になった店内は一人客がほとんどで、パチパチとフライを揚げる油の音とボリュームを落とした有線の音楽が響く普段と変わらない風景があった。

 

 10年以上前からこの店に通う船橋市在住の会社員、大村朋(とも)慶(よし)さん(31)は「大学生のころから秋葉原でパソコンのパーツを買った帰りにこの店で食事をしていた。職場も秋葉原なので、長い付き合いです」と笑顔で語る。

 

 最後の食事に選んだのは、定番メニューのメンチカツとスタミナ焼き。「いつも通りの味だった。当たり前にあった店がなくなるのは悲しい」と通い続けた店の閉店を惜しんだ。

 

 昭和39年に創業したキッチンジローは、平成30年に西日本最大手のファミリーレストラン「ジョイフル」の傘下となる。コロナの影響で売り上げが減り、ジョイフルも直営200店舗の閉店を発表。キッチンジローは「九段下店」(千代田区)と「中之島フェスティバルプラザ店」(大阪市北区)の2店を除く13店舗を閉店した。

 

 キッチンジローの山村進代表(44)によると、メインターゲットはサラリーマンや学生などの若者で、オフィス街や学生街を中心に展開しており、コロナによるテレワークやオンライン授業などの影響で客足が落ち、緊急事態宣言を受けた営業自粛もあった4月~5月は売り上げが5070 %減、6月~8月は40 %減となった。

 

 固定費が大きく、経営の効率化のため、13店舗の閉店を決めた。9月にホームページで閉店を公表して、反響が一番大きかったのがこの外神田店で、9月は前年に比べ50 %ほど売り上げが増えたという。

 

 山村代表は「今後、残る2店舗で経営を立て直し、またこの地に戻ってきたい」と言葉に力をこめた。(本江希望)

 

矢張りここ迄の記事で見て思うのは、キッチンジローが「残る店舗で経営を立て直し、復活したい」と意気込みますが、前の個人経営のお店は再建を諦めてしまうのでしょうか?

 

「父つぁん」が以前に訪れたお店が消えて行く事が幾ら探しても見つからない事が!


 

もちろん知っている人は「俺っち」も「父つぁん」も、実は並ぶのが嫌いなのでこの様なお店で並んでいる人は一見(いちげん)の初心者で馴染みのお客さんは並ぶ必要のない時間や日にちを知って居るのでは無いのかな?

 

「父つぁん」は記事で見て一回は行って見たかったと言って居ました。

今では次期すでに遅し一寸ここまで行けないのが残念な様です。

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