本当に「残念だ」「もっと話を聞きたかった」。30日に死去した台湾の李登輝元総統は親日家として知られ、たびたび日本を訪れた。親交のあった国内の関係者からは31日、悼む声が聞かれた。
対岸の中國ではまるで反対の記事が中国共産党機関紙・人民日報系の環球時報は、台湾の李登輝元総統が30日に死去したことを受け、「中國の歴史は分裂を進めた人間を絶対に許さない」と題する社説を!
終戦後に中國大陸から渡ってきた外省人の蒋介石、蒋経国親子による独裁が続いた台湾で、本省人(台湾出身者)として初の総統に就任。12年間の在任中に直接総統選挙を導入するなど民主化を進めた。「私はかつて日本人だった」と公言する親日家で、日台関係の発展にも尽力した。
韓国併合とは、1910年(明治43年)8月29日、「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて大日本帝国(日本)が大韓帝国を併合して統治下に置いた事実を指す。日韓併合、朝鮮併合、日韓合邦などとも表記される。厳密には日本による朝鮮半島の統治は、大日本帝国がポツダム宣言による無条件降伏後も続いており、1945年(昭和20年)9月9日に朝鮮総督府が降伏文書に調印するまで実質的には約35年間続いて何故反日国家に為ったのか?
日本統治時代の台湾は、日清戦争の結果下関条約によって台湾が清朝(当時の中國)から日本に割譲された1895年(明治28年、光緒21年)4月17日から、第二次世界大戦が終結して日本の降伏後、中華民国政府によって台湾の管轄権行使が開始される1945年(昭和20年、民国34年)10月25日までの時代で50年の統治で親日国であって台湾の感謝が双方の大きな違いです!
これに引換日本の来日受け入れに右顧左眄、李登輝元総統の来日が理由を考えれば右往左往する従来の政権に見られ、毅然とした当時の対処とは際立って違います。
李登輝元総統が靖国神社問題では2007年5月末から6月初旬にかけて訪日した際、日本外国特派員協会で開かれた記者会見で「“靖国問題”とは中国とコリアがつくったおとぎ話」と発言した。
2020.7.30 23:38国際中国・台湾 李登輝氏死去
【李登輝氏死去】靖国で「涙が出ます」 東日本大震災の被災地にも足運ぶ
https://www.sankei.com/world/news/200730/wor2007300027-n1.html
平成19年6月、靖国神社を参拝した台湾の李登輝元総統=東京・九段北
台湾民主化の父、李登輝氏が97歳で亡くなった。日本統治時代の台湾で生まれ京都帝国大(現京都大)で学び、「私は22歳まで日本人だった」と語るほどの親日家だった李氏。その根底には、日本から学んだ「日本精神」があった。2000(平成12)年に台湾の総統を退任して以降、計9回にわたり来日。俳人、松尾芭蕉の「奥の細道」を歩き、東日本大震災の被災地にも足を運ぶなど、日本を愛し続けた人生だった。
1回目の訪日は平成13年。岡山県倉敷市の病院で持病の心臓病の治療を受けた。16年末から17年にかけては、日本統治時代の台湾で治水事業に活躍した八田與一(よいち)や尊敬する哲学者の西田幾多郎の出身地である石川県や、自身が通った京大のある京都府などを巡った。
19年には、かねて念願だった「奥の細道」を探訪。芭蕉も参詣した宮城県松島町の瑞巌寺(ずいがんじ)を訪れ、日本三景の一つ、松島を見て「松島や 光と影の 眩(まぶ)しかり」と自作の句を詠み、後に句碑も建立された。
このときの滞在では、先の大戦で日本人として出征しマニラで戦死した兄がまつられる靖国神社(東京)に参拝。「62年ぶりに兄に会えて、涙が出ます。温かい気持ちになりました」と、思いを語った。
20年に沖縄県を訪問した際には、仲井真弘多知事(当時)などとの昼食会の席上で尖閣諸島(同県石垣市)を「日本の領土」だと改めて表明。21年には、「台湾の民主化と政治改革に大きく影響した」と語った幕末の志士・坂本龍馬の故郷、高知県などにも足を伸ばした。26年には大阪府、東京都、北海道を訪れた。
27年には国会議員超党派有志による要請を受け、台湾総統経験者として初めて国会施設で講演。福島県と宮城県も訪問し、同県岩沼市の「千年希望の丘」で東日本大震災の慰霊碑に献花し、犠牲者に追悼の祈りをささげた。
28年には石垣島を訪れ、30年の最後の訪日先も沖縄だった。李氏は講演で「日中間における尖閣諸島や南シナ海の問題など、絶えず周辺国家との緊張状態を作り出し、潜在的な軍事衝突の可能性を生み出している」と中国の強硬な海洋進出を批判。民主主義と自由を共有する日本と台湾が連携していく重要性を、最後まで訴え続けた。
この様に民主主義と自由を共有する日本と台湾が連携していく重要性を、最後まで訴え続けて居た事を考えれば中國の市場では、民主主義と自由を共有出来ない日本企業が中國での工場を東南アジア諸国に転出を考えて居るようですが日本への回帰も考慮して居るようですが穿った疑いを持つ理由として経団連のトップが中國市場に固執するのは意外にトラップ【トラップとは、罠(を仕掛ける)、落とし穴、騙す、陥れる、などの意味を持つ英単語】にでも掛かって居るのでは無いのか?疑う。
日本のトップ企業の「トヨタ」ですらAIを駆使した自動車や技術を共同開発?これでは経団連傘下の企業も中國の思う壺!じゃ無いか。
それに引き換え、台湾の素早い「武漢ウイルス」で対応を聞けば如何に日本の政府や企業の緩慢さは中國の思いに合致、現在進行中でコロナ禍の日本はマスクや医療用品の不足解消に奔走させられたが、ひとたび非常事態に陥れば、中國からの供給は、こつぜんと途絶えてしまう怖さを目の当たりにした。
コスト削減を目的に日本から出ていったサプライチェーンだが、ここに防疫や国防、ブロック経済化のリスク回避が加わる今、日本企業も国内回帰や拠点分散化を加速させるときが来たと考えるのは必然だ。
【李登輝氏死去】「台湾独立に信念を持って活動」中谷元・元防衛相
https://www.sankei.com/politics/news/200730/plt2007300036-n1.html
台湾の李登輝元総統(酒巻俊介撮影)【撮影日:2015年07月22日】
自民党の中谷元・元防衛相は30日夜、台湾の李登輝元総統が死去したことについて「台湾の独立に向けて信念を持って活動し、台湾のアイデンティティーを大切にする優れた指導者だった」と語った。
中谷氏は「来日されたとき、坂本龍馬に関する話を聞かせていただいたのが印象深い。台湾で話を聞いたこともあるが、日本に対して非常に理解を持つ方だった」と振り返った。
この様に李登輝元総統は坂本龍馬の所業をご自分に映して居たのでしょう?それに引き換え「中南海」の中國共産党幹部は一般庶民の生活を守る事より自分たちの莫大な賄賂蓄財を守る事の方が先なのでしょう?この様な行動に他国に移した蓄財を凍結される経験をさせなければ判らないよ?
逆に判って居るから彼らの懐に入る環境は潰して、いくら隠蔽体制の中國もダメージを受ける事は当然でも、この問題は中國が責任を取って貰う位な事も考えなければいけません。
とは言っても日本の積極的な施策を打てない裏には強力な政権を作れない議員連中と日本国憲法が有り、ひたすら憲法を擁護する法務省の「かっちんかっちんな石頭」の官僚が国の危機に法解釈で抵抗!李登輝元総統の爪の垢でも飲ませたい。
「俺っち」と「父つぁん」の懸念を払拭して欲しい。
「武漢ウイルス」も同じ様に終息が有って欲しいし、期間が判らないが早く終息が有って欲しい。
日本国内が回帰した工場の活動で戦後の景気を経験した事のない若者の士気を高めたいもんです。
【李登輝氏死去】評伝 「公に奉ずる日本精神」説き続けた旧制高校生 河崎真澄
https://www.sankei.com/world/news/200730/wor2007300017-n1.html
李登輝元総統
作家の司馬遼太郎は、1993年と94年の台湾取材で親しくなった元総統、李登輝を「旧制高校生」と評した。2人とも大正12(1923)年の生まれだ。
互いに70歳に手が届いていたが、「僕はね」と語りかけた口調に、司馬は懐かしき旧制高校生に再会したと感じたのだろう。李登輝は旧制台北高から、京都帝大(現京大)に進んだ。
本紙連載「李登輝秘録」の取材で台北郊外の自宅を訪れたとき、李登輝は右手を首まで水平に持ち上げ、「僕はここまで、22歳まで日本人だったんだ」と言った。
李登輝は高校時代に新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)の「武士道」を読み込んだ。自著「『武士道』解題」(小学館)で「日本の伝統的価値観の尊さ」を訴え、戦後日本の「自虐的歴史観は誤り」と書いた。
台湾民主化の父と呼ばれた李登輝が「日本精神」にこだわったのはなぜか。
2002年11月、慶応大で学生向けに話すはずだったが、訪日ビザ(査証)を日本政府に拒まれ“幻の講演原稿”となった「日本人の精神」にこう綴(つづ)った。
「いま、私たちの住む人類社会は未曽有の危機に直面している。危機竿頭(かんとう)に面したとき、日本人に対する国際社会の期待と希望はますます大きくなる。数千年にわたり積み重ねてきた日本人が、最も誇りと思うべき普遍的価値である日本精神が、必要不可欠な精神的な指針なのではないか」
その実例として李登輝は戦前の台湾で、東洋一とされた「烏山頭(うさんとう)ダム」を作った日本人技師、八田與一(はった・よいち)を挙げた。工事は苦難の連続だったが、灌漑(かんがい)用水路も整備し、干魃(かんばつ)や洪水に苦しんだ不毛の地を広大な農地に変えた。台湾農民のために八田は生涯をささげた。
李登輝は、「人間いかに生きるべきか」「公に奉ずる精神」を実践躬行(じっせんきゅうこう)したとたたえた。八田は台湾でいまも尊敬を集めている。
李登輝は講演原稿をこう締めくくった。「皆さんの偉大な先輩、八田與一のような方々をもう一度、思い出し、勉強し、われわれの生活に取り入れよう」。私心ではなく「公」のために誠意をもって行動する。戦後の日本人が失った「日本精神」をいまこそ取り戻すよう、李登輝は事あるごとに日本人に説いたのだ。
台湾における教育改革にも心を砕いた。「(国民党政権の)反日教育をやめさせ、台湾の子供たちに正しく日本と日本人を理解させなければ」と考え、96年に新たな中学の教科書「認識台湾」を作らせた。それ以前の教育では、大中華主義の歴史観で台湾の歴史や地理は教えず、日本統治時代は一律に否定していた。
だが李登輝は戦前に普及した教育の制度やインフラ建設など、日本の功績も認める客観的な記述を取り入れて再評価させた。その結果、若い世代が公平な目で日本を見て判断し、親しみを感じる傾向が強まったという。反日教育を90年代から加速させた中国や韓国と台湾の差がここにある。
「僕はね、戦後の日本人が失ってしまった純粋な日本精神を、今も持ち続けているんだ。だから政治の苦難も乗り越えられた」。そう話した李登輝の生き方こそ、今を生きる日本人が手本とすべきものだった。(元台北支局長 河崎真澄、敬称略)
「公に奉ずる日本精神」を説き続けた旧制高校生然とした考えを失わない李登輝元総統のいない台湾に息づいて蔡英文総統の支持にも表れている。
反日教育を90年代から加速させた中國や韓国と台湾の差がここにある。台湾における教育改革にも心を砕いた。「(国民党政権の)反日教育をやめさせ、台湾の子供たちに正しく日本と日本人を理解させなければ」と考え、96年に新たな中学の教科書「認識台湾」を作らせた。それ以前の教育では、大中華主義の歴史観で台湾の歴史や地理は教えず、この考えの下に教育改革を実行。
翻って日本の教育に戻れば教科書問題しかり、歴史教育に於いても戦前、戦中、戦後の流れが教育に反映できない!
文科省の教科書検定では良い点を記述している教科書が弾かれる?
間違いなく愛国精神を醸成出来ない事が若者に於いての覇気がない人間を作る事が文科省の考えなのか?
「俺っち」の教育は「小母さん」や「父つぁん」に叩き込まれて今の地域愛精神が出来たんだ。
世界は自国民の愛国や忠誠心を鼓舞する事が当たり前の教育。
中國の軍事行動も隙をついて「尖閣諸島問題」で中國の現在進行形の事実づくりに世界へ発信!
戦後教育を受けていた連中の議員が多いのも愛国精神が無い事も中國を容認する日本の左翼や親日与党内議員と野党も本当に鬱陶しい。
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