この記事は「東京五輪・パラリンピック」開催を実現したが、「父つぁん」も近年の「五輪・パラリンピック」が開催都市に於いての巨額な資金が必要になっている事や政治問題で今後の課題としての発言があるので一考の余地があると読んでいました。今回の「東京五輪・パラリンピック」開催は「武漢ウイルス」対応で昨年開催を一年繰り伸ばして行うので、先ずはこの様な事態を経験するのは初めてなので世界が注目している。
今迄には戦争で中止に為った「五輪」中止は人為的な事でしたが、現在進行形の経験のない感染化「武漢ウイルス」対応で、どの様な運営を行うのか既に選手の競技でメダル獲得も報じられています。世界から次のような意見も出ているのか判りませんが、世界の各地に持ち廻りながらの受け入れ地での準備を考えると受け入れ側の負担は大きすぎて未だにインフラすら完全ではないのを開催地が限られる国が選手を送り込むだけで精いっぱいの国も存在してしまう。世界のイベントで開催地の名前を冠した大会が多くあるのでこの意見も面白いと思うけれど、どんな進展があるのか気に為ります。
2021.7.25(日)
IOCのバッハ会長の傲慢さに米メディア猛反発
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66203
高濱 賛
世界情勢 時事・社会 スポーツ
東京五輪の開会式で打ち上げられた花火(7月23日、写真:青木紘二/アフロスポーツ)
度肝を抜く花火の後に何が起こるのか
パンデミック非常事態宣言下で始まった東京オリンピック・パラリンピックを世界はどう見ているか。
米主要メディアは始まる前から「完全な失敗に向かっている。『おもてなし』の心は偏狭で内向きな外国人への警戒に変化した」(ワシントン・ポスト)と酷評していた。
だが、「シュールな(現実を超越した)開会式」(CNN)を見た米メディアの記者たちは、「コロナ禍による死者を弔い、孤独と戦いながらトレーニングを強いられてきたアスリートたちへの賛歌を歌い上げた」(公共放送NPR)と一定の評価をしている。
一方、こうした開会式の荘厳さとは裏腹に、競技場外から聞こえてくる東京五輪反対デモ参加者たちの罵声に日本が抱える複雑さも厳しく指摘している。こうした報道については読者諸兄姉もすでにご承知だろう。
こうした紋切り型報道ではなく、インテリ若年層に圧倒的人気のあるニュースサイト「ザ・デイリー・ビースト」が東京に派遣したエンターテインメント担当記者、ケビン・ファーロン氏の現地報告をご紹介しよう。
デイリー・ビーストはインディペンデントのリベラル系、1日のアクセス数は100万を超えている。
「人っ子一人いない観客に向かって言い放たれた(開会式の)メッセージは内向きで、はにかむような大言壮語だった」
「オリンピックは、嫌われ者のウイルスをまき散らすスーパースプレッダー(超感染拡散者)だ。オリンピックが、観客席は空っぽの国立競技場でこの夜デビューした」
「度肝を抜く華やかな花火が打ち上げられた。だが、その後に何が起こるのか。控えめな言い方をすれば、誰も五輪はやりたくなかったはずだ(つまり、一部の人間を除き、みな反対だった)」
「開会式は短かったが、実にビューティフルだった。すべてが抑え気味だった。演壇に立った人たちのスピーチは口々に国際的な団結と忍耐を強調していた」
「だがこの夜の開会式を見ていて気づくのは、なぜこんなに慇懃な(Respectful)なのか、もっと言えば、なぜこんなにくだらない(Stupid)のか、ということだった」
「通常な時であれば日本という国は、こんなウイルスなど撲滅していた。ところが、今や、第4波のパンデミック禍で国民を家に閉じ込めている」
「世論調査では日本国民の多くが東京五輪の中止か、再延長を望んでいた。観客がいないのになぜ世界中から集まった選手たちを歓迎し、祝福することができるのだろうか」
「家から出られないのに日本国民はどうやってグローバルなイベントを楽しめる特権を享受できるというのだろう」
「(この競技場の記者席から見ていると)東京五輪の開会式は気が滅入る(Depressing)だけだった」
(https://www.thedailybeast.com/the-tokyo-olympics-opening-ceremony-was-depressing-as-hell)
東京五輪は最初から呪われていた
「東京五輪は呪われている」と言い切ったのは麻生太郎副総理(兼財務相)だった。その発言を米メディアは好んで引用してきた。
まず新競技場のデザインにケチがつく。エムブレム盗作疑惑。森喜朗大会組織委員長の男尊女卑発言での辞任。それにコロナウイルスの爆発的な感染拡大による1年延期。
さらには開催寸前に噴出した五輪関係者のいじめ体質やホロコーストを茶化した発言発覚などなど、確かに呪われ続けた。
しかも感染力の強い「デルタ株」が猛威を振う中で菅政権の不手際でワクチン供給が遅れ、ワクチン接種は遅々として進まない。
だがプラス面もあったと、日米関係に長いこと携わってきた米元政府高官は言う。
「皮肉なことだが、東京五輪は日本人のメンタリティに潜む男女不平等、弱者軽視を炙り出し、ジェノサイドなどについての国際的なコモンセンスがいかに欠如しているかを露呈させてしまった」
「日本も他国に指摘されるなら反論もしただろうが、相手が五輪となるとそうはいかない」
「葵の御紋の印籠(五輪の精神)を突きつけられて『これが目に入らぬか』とやられると、ぐうの音も出なかった。そのこと自体は長い目で見れば、日本にとっては良かったはずだ」
バッハ会長は黒船のペリー提督だ
それでも、米メディア報道を精査していて気づくのは、非常宣言下でも東京五輪をせざるを得なかった菅義偉首相の「不甲斐なさ」を指摘はしても糾弾はしていないこと。
(海外から来た記者たちの意地悪い質問にも冷静さを保ち続ける橋本聖子五輪相を高く評価する記事も目についた)
国民の8割以上が中止や延期を望んでいるのに菅首相はなぜ、ごり押ししたのかという点では、日本の国家としてのプライドや経済的なメリットがあるのだろうと一応の理解を示している。
それに反して、米メディアが憤りの矛先を向けているのは国際オリンピック委員会(IOC)のドイツ人弁護士、トーマス・バッハ第9代会長ら五輪エスタブリッシュメントだ。
米高級誌「ニューヨーカー」のマット・アルト記者は、東京五輪を一方的に日本に押しつけたバッハ会長を1853年の黒船に例えてこう指摘している。
「7月8日は、今から168年前にペリー提督率いる黒船が江戸湾に現れ、開国を迫った日だ」
「バッハ氏は日本政府に1年延期された東京五輪を何としても今年夏に開催するよう迫ったのだ。日本はこの要求に社会的、政治的混乱状態に突き落とされた」
「菅首相は、ウイルス感染が拡大しているにもかかわらず『東京五輪はウイルスを撲滅したという証しにさせる』と主張、バッハ氏は『五輪は日本国民にウイルス・リスクを与える可能性ゼロだ』と空約束。すでに選手村からは感染者が十数人出ている」
(https://www.newyorker.com/sports/sporting-scene/tokyos-olympics-have-become-the-anger-games)
IOCの上から目線のスタンスは、日本での反対の声が出始める中でもいかんなく発揮された。
スポークスパーソンのマーク・アダムス氏は、こう言い放っていた。
「我々は(世論の声は)聞く。だが(決定する際に)世論に左右されることはない」
炎天下のマラソンは選手に負担をかけるとして、東京から札幌に変更した際にも、IOCは東京都の小池百合子知事と事前協議は一切しなかった」
「日本で報道されているように何か重要なアジェンダを決定するときはIOC、日本政府、東京都、日本五輪委員会、東京五輪組織委員会の5者で決めてきたというのは“神話”のようなもののだ」
ロサンゼルス・タイムズのジュリス・ボイコフ氏はIOCと五輪開催国との関係について、「IOCはまるで『ジキルとハイド』のような駆け引きに終始していた」とみている。
「開催を希望する国を選考する段階では優しく抱擁するが、いったん決まるやバイズ・グリップ(締め上げる)していく」
「東京五輪自体、中止するか、再延期するか菅首相(前任者の安倍晋三前首相)が提案するチャンスはあったのだ」
「菅氏は今頃になって、『IOCはすべての権限を持っている。IOCは東京五輪を今年開催することをすでに決定していた』と述べている」
五輪参加国は参加費をギリシャに払え
IOC批判に燃え上がる米国では、これだけ巨大化したオリンピックは東京五輪を最後に発祥の地であるギリシャに戻してはどうかという奇抜な提案が出ている。
今後、夏季五輪は2024年はパリ、2028年はロサンゼルス、2032年はブリスベンまで決まっている。
2032年に候補に名乗りを上げたのはブリスベンだけだった。
開催資金は膨れ上がり、コロナウイルス感染のような不測の事態や地球温暖化の影響を受けているとされる自然災害への対応など中小国では財政的に賄い切れなくなっている。
五輪誘致熱は急速に冷え込んでいる。
そこで、「ギリシャを夏季五輪の半永久的開催地にせよ」と唱えているのは、月刊誌「ワシントン・マンスリー」の編集主幹、ポール・グラストリス氏だ。ギリシャ系米国人だ。
同氏の構想をジャーナリストのテモシー・ノア氏が代弁してこう書いている。
「もともと五輪はギリシャ人が始めたスポーツの祭典だ。今や、世界中から『Boondoggle』(無用の長物)と言われている五輪を元の鞘に収めてはどうか」
「ザルツブルグ音楽祭をオハイオ州のアクロンではやらない、ローズボウルは西アフリカのバルキナファソではやらないのと同じ発想だ」
「五輪は肉体的な豪勇さに優雅さと美を見つけ出すというギリシャ人の理想を実現しようとしたものだ。それが世界中から認められた」
「かといって4年に一度持ち回りで開催地を選ぶ理由などどこにもないはずだ」
「問題は開催にかかる費用だ。近代ギリシャはそれほど豊かな国ではない。そうならば五輪に参加したい国から参加費用を払わせるのだ」
「欧州連合(EU)も一肌脱ぐべきだし、欧州中央銀行も拠出金を出すだろう。かつて財政面でメルトダウンしたギリシャは五輪開催で潤うこともできる」
(https://washingtonmonthly.com/2021/07/19/give-greece-back-the-olympics/)
「東京五輪を最後にもう五輪はやめるべきだ」という強硬論まで出ている中で「ギリシャ五輪里帰り」構想。
意外に良いアイデアで、一考する価値はありそうだ。
高濱 賛のプロフィール
Tato Takahama 米国在住のジャーナリスト
1941年生まれ、65年米カリフォルニア大学バークレー校卒業(国際関係論、ジャーナリズム専攻)。67年読売新聞入社。ワシントン特派員、総理官邸キャップ、政治部デスクを経て、同社シンクタンク・調査研究本部主任研究員。1995年からカリフォルニア大学ジャーナリズム大学院客員教授、1997年同上級研究員。1998年パシフィック・リサーチ・インスティテュート上級研究員、1999年同所長。
実に面白い考えで「俺っち」は驚くね。
日本は今の季節は「七十二候」で土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)7月28日頃で、土がじっとりとして蒸し暑くなる頃。蒸し暑いことを「溽暑(じょくしょ)」と言います。
この様な蒸し暑い時期に開催しなくてはいけない日本と違って開催地が東京ではなく、開催地が特定されていなければ、参加する選手にとってはどの様な記録が出るのか?
決して「俺っち」も負けない様に身体を鍛えて(ちょっとメタボなので!)猫競技に参加する様に努めたいね!
前にもブログに書いて貰ったけれど「俺っち」の首輪にこの近くで交流していた人が会社の移動で「小母さん」に今までの交流に感謝したメモを括りつけられた事をお話ししましてね。
人の意見としては色々な意見もあってこれらを一つの方向に纏めるのは容易では無いでしょうが、聞く姿勢が無ければ決定賢者の傲慢と言われても致し方ない。
今の米メディアが憤りの矛先を向けているのは国際オリンピック委員会(IOC)のドイツ人弁護士、トーマス・バッハ第9代会長ら五輪は「社会システムや経済システムなどのさまざまなシステム内部に存在する権力構造、権威体系、支配体制」を牛耳っていうそうなので、意見を聞いても弁護士は聞き置くだけだ。
次の記事は「父つぁん」が何時も観る事が出来る「俺っち」の近くにある新橋の傍に黒川紀章氏が設計した東京都・銀座8丁目に建つ「中銀カプセルタワービル(1972年)」だ。
2021/07/25 20:30
黒川紀章の「カプセル建築」が再注目される理由
代表作は建築・近現代美術ファンの間で聖地に
https://toyokeizai.net/articles/-/441878
『SUUMOジャーナル』編集部
日本を代表する現代建築の運動「メタボリズム」の中心的建築家の一人、建築家・黒川紀章(1934~2007年)。黒川氏の代表作であるカプセル建築の数々をご紹介(画像提供/カプセル建築プロジェクト)
建築家・黒川紀章(1934~2007年)をご存じだろうか? 日本を代表する現代建築の運動「メタボリズム」の中心的建築家の一人だ。1973年に黒川が手がけた別荘型モデルハウス「カプセルハウスK」が、クラウドファンディングによる再生のもと、2021年夏にも宿泊体験ができるようになる。
黒川は、大阪万博で未来型カプセル住宅のパビリオンを手がけ、マンションにも応用、そしてカプセルホテルのあのカプセルベッドの原型にも関わった。黒川が世に送り出したカプセル建築のDNAは現代においても発展的に息づいているようだ。
黒川紀章の別荘型モデルハウスへの宿泊体験が可能に
黒川紀章、この稀代の建築家は、京都大学で西山卯三(食寝分離の公営住宅標準設計「51C型」を開発)に師事、その後、東京大学大学院で丹下健三の研究室に学んだ。黒川は、若くして頭角を現し大学院在学中に自らの事務所を興し、浅田孝、大高正人、槇文彦、菊竹清訓ら若い建築家グループが提唱した建築運動「メタボリズム」に参画する。
当記事はSUUMOジャーナルの提供記事です
メタボリズムとは「新陳代謝」を意味し、社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を目指すという、1960年代から70年大阪万博にかけての前衛建築運動だった。
中銀カプセルタワービル(写真撮影/山田新治郎)
このメタボリズムを代表する建築として名高いのが、黒川が設計した東京都・銀座8丁目に建つ「中銀カプセルタワービル(1972年)」だ。
丸窓を有するキューブ状のユニット144個が塔状に張り付くユニークな建築は、日本のみならず世界から東京を訪れる建築や近現代美術ファンの間では聖地となっている。世界ではじめてのカプセル型の集合住宅と言われている。
長野県御代田町・カプセルハウスK(写真撮影/山田新治郎)
翌年の1973年、メタボリズム建築の別荘型モデルハウスとして計画されたのが「カプセルハウスK」である。「K」とは黒川のイニシャルをあらわしているのだという。場所は、長野県御代田町の急な斜面地だ。鉄筋コンクリート造のコアシャフトには玄関、リビング、階段、アトリエを設け、その周囲に4つのカプセルが取り付けられた。
カプセルは、「中銀」と同等のもので、東海地方にある同じ製作会社によって造られた。2つの寝室カプセルは中銀と同じ構成でそれぞれにトイレ・バスユニットを内包したもの。残る2つは、茶室カプセルと厨房カプセルとなっている。寝室と茶室には、アクリル製のドーム状の丸窓が付いている(中銀はフラットな丸窓)。そして厨房は、鉄製サッシュの四角い窓とされている。
メタボリズム建築の別荘型モデルハウス
カプセルハウスKの平面図(画像:カプセル建築プロジェクト)
この別荘型モデルハウスは、黒川の事務所が所有していたが、黒川没後の民事再生に際して他の所有者の手に渡っていた。これを、黒川氏の子息・黒川未来夫氏が修復と保全のため2019年に買い戻したのだという。
未来夫氏は、民泊事業ができるように、自らの会社MIRAI KUROKAWA DESIGN STUDIOでクラウドファンディングを行い、資金の一部を調達して改修や設備の整備を行った。
カプセルハウスKに取り付けられた4つのカプセル(画像:カプセル建築プロジェクト)
新型コロナによる緊急事態宣言などから、見学会や民泊の実施は当初の計画より遅れ気味ではあるが、21年夏ごろの宿泊の受け入れに向けて着々と準備は進められている。
カプセルの思想は現代において改めて見直される
黒川紀章によるカプセルの思想がどのように受け入れられ、また、現在どのように進化し続けているのか、黒川紀章建築都市設計事務所に大学卒業後入社し黒川氏の薫陶を受け、カプセル建築に造詣が深い工学院大学建築学部の鈴木敏彦教授に話を聞いた。
カプセル建築の系譜(出典:Webサイト「カプセル建築プロジェクト」より)
「黒川は1969年に『カプセル宣言』を発表します。宣言に則り大阪万博のパビリオン、そして、中銀カプセルタワービル、カプセルハウスKと矢継ぎ早に実現します。宣言の第7条で『カプセルは、プレファブ建築、すなわち工業化建築の究極的な存在』と定義しています。カプセルを自由に着脱・交換できる新陳代謝を構想・具現化したものでした」と解説する。
カプセル・イン大阪1979年 FRPのカプセルベッドはコトブキシーティング(画像:カプセル建築プロジェクト)
「また第8条には『カプセルは全体性を拒否し、体系的思想を拒否する』とあります。難しい言い回しですが、これは機能単位でカプセルを捉えようというものです。カプセルを建築に内包する就寝設備(カプセルベッド)という機能に絞り込みました。1979年に黒川は、第1号のカプセルホテル『カプセル・イン大阪』を実現します。その後、カプセルホテルは広く全国に普及しました。また、カプセルベッドは警察・消防署などの夜勤者向けとしても活用されています」
鈴木教授は「さらに黒川は、カプセルのコンパクトな住居ユニットを取り外し、トラックなどに載せ移動させ使うことも想定していました。2021年のいま、思い当たるライフスタイルがあるでしょう。そう、モバイルハウスです」と、指摘する。
黒川はメディアモンスターと異名を与えられるほど、マスコミへ露出して、自らの建築思想を大衆に語りかけた。当時の人気週刊誌「平凡パンチ」1969年3月24日号でインタビューを受けている。「動民の思想」を説き、イギリスへ大阪万博の計画のためピーター・クックとの意見交換に赴いたこと、すぐにペルーの仕事に飛ばねばならないなどエネルギッシュな仕事ぶりを披瀝している。(写真撮影/村島正彦)
『カプセル宣言』の第2条では『カプセルはホモ・モーベンスのための住まいである』と定義しています。『土地や大邸宅という不動産を人々は次第に欲求しないようになり、より自由に動ける機会と手段をもつことに価値観を見いだすだろう。カプセルは建築の土地からの解放であり、動く建築の時代の到来を告げるものである』と説明を加えています。いま人気のモバイルハウスを予言していたのです。
『ホモ・モーベンス』について当時、黒川は『動民』という言葉を当てています。日本中、世界中を飛び回るようなビジネスパーソンが頭にあったのでしょう。黒川自身が世界中にプロジェクトを持ち飛び回っていましたから」
ただし鈴木教授は「70年代には、黒川の提案はまだ早すぎたのかもしれません」と話す。
「1990年代になりインターネット、ケータイ、ノートパソコンが普及して場所に囚われず仕事ができるようになりました。そして、2020年の新型コロナで、テレワークが強力に推し進められることになりました。現代にこそ改めて、黒川の提案した『カプセル建築』『ホモ・モーベンス』がもう一度見直されていいと思います」と言う。
2021年、災害時の避難シェルターにカプセル建築の思想を応用
ダンボールスリープカプセル(画像:カプセル建築プロジェクト)
2021年、鈴木研究室とコトブキシーティングが共同開発し発表したのが「ダンボールスリープカプセル」だ。
コトブキシーティングは、黒川のカプセル建築に端を発するカプセルホテルのカプセルベッドを1979年に開発し、現在まで6万ユニットを世に送り出している会社だ。
鈴木研究室と「災害時の避難場所をカプセルホテルに」というコンセプトで、使用しないときにはコンパクトに備蓄も可能なダンボールで開発したのだ。
バスケットコート(15×28m)に98ユニット設置可能(画像:カプセル建築プロジェクト)
鈴木教授は「コロナ禍の避難環境においても三密を防ぎ、プライバシーを確保しながら、避難所になる体育館といった限られた空間で受け入れ人数を最大化できます」と開発意図を説明してくれた。「1段平置き」「1段平置き+専用スペース」「2段重ね+専用スペース」など、ダンボールユニットを増殖させることも可能だ。まさに、黒川のカプセル建築の着脱・増殖の考え方を、現代に蘇らせた。
鈴木教授は、さらに、CLT(直交集成板)や太陽光発電など組み合わせた「E-HUT」の構想もあるという。
鈴木敏彦教授の提案する「E-HUT」。CLTで駆体を造り太陽光パネルを載せる。分解、移動が可能なカプセル(画像:鈴木敏彦研究室)
「これは、最近注目される小屋やモバイルハウスとしての利用を考えています。分解して移動できる、またクルマによって牽引または架台に載せて移動が可能な『カプセル』です。もちろん、自由に移動してテレワークにも利用可能でしょう」と話す。
2021年、移動しながら仕事をし、多拠点で暮らすホモ・モーベンスのための新しいカプセル建築が生まれたわけだ。
黒川が60年代末に打ち出したカプセル建築、そしてホモ・モーベンスは、当時では未来的な思想・コンセプトだった。それから半世紀が経ち、黒川の思想・コンセプトを受け入れることができる、技術と環境、生活スタイルに私たちが追いついてきたのかもしれない。
(取材・文/村島正彦)
やはり今の「東京五輪・パラリンピック」でイスラエルの選手が選手村の簡易ベッドを9人が何人の選手が乗ったらベッドが壊れるか試し、最後には段ボールの残骸が写っている。動画は間もなく削除された。
ネット上では「全く面白くない。日本人としてすごく悲しい」「他人の物を壊す意味が分からない」と散々な評判だ。
これも日本人なら遣らないだろうし、段ボールで作る発想が日本人として開発できることの証だろう。
選手村の寝具は資源の持続可能性に配慮してベッドフレームを段ボールで作り、マットレスもポリエチレン製で大会終了後にプラスチック製品などに再利用が可能という。(共同)
「俺っち」も爪とぎが段ボールで作られているので真似をしたんだろう?
それにしてもカプセル居住区や備品にまで段ボールで作って驚きだ。
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